「なぁ聞いたか、〇〇が一日懲罰室行きになったって話。」
「え?〇〇って、あの劣等生の?」
「あぁ、なんかマルクトの腕を折ったらしいぜ」
「うわぁ…よりにもよってマルクトのかよ……。」
グアンハオという小さな島で起きた出来事は一朝一夕に広がるもので、回ってきた噂を小耳に挟んだわしは、塔内地下にある懲罰室の扉を叩いた。数度のノックを経て開いた懲罰室は、地下室とだけあって窓なんてものが無ければ灯りもなく、一言で言えば真っ暗だ。彼女の姿はそんな真っ暗な闇の中に溶けており、灯りを灯したカンテラを掲げて「〇〇」と彼女の名を呼ぶと、奥の方から「げっ」という声が返ってきた。
「……食事を持ってきたが余計な世話だったかのう。」
「わー!頂きます頂きます、ごめんなさい!」
そうして暗闇から姿を現してカンテラの灯りを受けた彼女を見ると、思わず言葉を失った。朝見た時と容姿が変わっていたのだ。高い位置で括っていた髪は無くなっており、頬も真っ赤に腫れている。組手の怪我にしては随分と陰気さを感じるものだと、此方に近づいてきた彼女の首裏に手を伸ばして、やけにすっきりとした後頭部を撫でると〇〇は一瞬肩を強張らせながら、距離を取るように後ろに後ずさった。
「もう、なによ急に。」
「…これが原因か?」
「…違うよ、これは単なるイメージチェンジです。」
「ずっと伸ばしておったのにか?」
「……、……そう、だよ。」
「……相変わらず変なところで強情な奴じゃのう。」
「まぁ、ほら、短い方が安心するっていうか。長いの似合ってなかったし、うん。」
彼女は強情だ。よく泣く癖に、ジャブラにされた事なんかはすぐに言いつけに来る癖に、彼女に向けられた行動に、明確な悪意が籠った途端、彼女は口を噤んで強情になってしまう。それが心配をかけぬようなのか、それとも何か別の感情からなのかは分からないが、それにしたって今日の”悪戯”は随分とやりすぎだ。
彼女がこうして理由を話さないかわりに、卑下するような言葉を並べることも、並べさせることになった原因も気に食わない。思わず眉間に皺を寄せると、〇〇は少しばかり困ったように眉尻を下げて笑った。
「……あは、カクが怒ってどうすんのさ。……というか、パン持ってきてくれたんでしょ、お腹すいたから貰ってもいい?」
話題を変えるよう、この最悪な空気を換気でもするように、〇〇はわしに向けていた視線を外して、カンテラの持ち手を手首に通した手元に向けた。
わしの手には布で包んだパンがあるのだが、〇〇はこちらが返答する前にするりと抜きとるものだから、なんて手癖の悪い女だ。とも思ったが、ここまで強引にされては嫌でも空気は切り替わるもので、はあっとため息を落としながら、壁際に腰を下ろした〇〇の隣へと腰を下ろして、ひんやりと冷えた石壁に背を預けた。
パンを包んでいた布は膝の上に。〇〇はパンを手に取って半分にすると少しばかり大きな方をわしに向けて差し出した。これが彼女に用意されたものではなく、わしに用意されたパンであることを理解しているのだろう。それを受け取ったわしは「お前が食っていい。」と半ば押し付ける形で唇に寄せると、彼女はいいの?と視線を此方へと向けたのち、ぐあ、と口を開いてパンを口で受け取った。
「……それで?懲罰室行きなんて随分とお前らしくもないことをやったようじゃのう。」
「ふぉんふぁふん、んもも、む」
「食べながら喋る奴がおるか。」
「ふぉふぉふぃいうお」
埒が明かないというかなんというか。軽めではあるが彼女の頭を叩くと「んぐ」と声が返ってきたが、彼女はそのまま暫く咀嚼を繰り返してごくんと飲み込んだ後、「まー…冗談はさておいて、やられるだけっていうのは性に合ってないみたいで。」と小さく零した。本人としては茶目っ気たっぷりに言葉を紡いだようだったが、カンテラの光を受けてぎらりと光るその瞳には、わしには決して見せぬ残虐性が色濃く残っており、目元を細めるようにして笑んだ〇〇は「人には地雷ってものがあるよねぇ。」と零した。
そうしてパンを食べ終えたあと、〇〇は「いやーお腹いっぱい」とお腹いっぱいでもなかろうに腹を摩って息を落とした後、膝を抱えるように伸ばした足を曲げて膝頭に顎を乗せた。何か言葉の選択に迷うよう、彼女は長いまつ毛を伏せてぎゅっと抱えた膝をぎゅうっと抱きしめると、長い長い間を空けて「…………カクはさー、別に私といなくてもいいんだからね。」と、やけに静かな声で言葉を落とす。
「なんじゃ、急に。」
その言葉があんまりにも寂しい声だったから、彼女の頭の上に手のひらを乗せると、彼女は僅かに乱れた髪の隙間から此方を覗いて「いやぁ、別に。…カクは否定するだろうけど言っておこうと思って。」と、また静かに零しながら視線を外した。言うだけならタダでしょと〇〇は言葉を続けたが、大方、何かわしに関することでも言われたのだろう。
「………理解しとるならそんな事言うもんじゃない。」
「……なんで?」
「……寂しいじゃろう。」
「………んふ、可愛いこと言っちゃって。」
彼女の頭を暫く撫でたが、彼女は力なく笑うだけでいつものように屈託なく笑う事は無かった。
嗚呼、本当に腹立たしい限りだ。何のために時間をかけて彼女に依存を植え付けていると思っているのだ。
撫でる手のひらを、そのまま彼女の後頭部へと滑らせる。恐らくは刃物で雑に切られた髪の襟足は不揃いで、項には刃物が触れたような薄い傷跡が残っていた。ああ、全く気に食わない。〇〇はわしを見て不思議そうにしていたが、その視線を無視して項に残る傷跡へと唇を寄せると〇〇の肩がびくりと大きく跳ねて
「ひゃ……ッ?!な、なに…ッ?!」と悲鳴に近い声を上げた。
「うん?……傷があったから、触れただけじゃが。」
「へ、え?……傷?」
「あぁ、項に傷があるが気付いておらんかったか。」
「やけにひりひりするなぁとは思ってた…けど、………傷があると、その、……キスするの?」
〇〇はたっぷりと間を含ませてながら呟く。
キスをするのかという単純な疑問と、誰にでもこんなことをするのか。という僅かな嫉妬も含んだそれに、「……どう思う?」と意地悪を含ませて言葉を返せば、〇〇は分かりやすく眉間に皺を寄せて、拗ねたような口ぶりで「……わかんないから聞いてるんじゃない。」と唇を尖らせた。
「わはは、精々よく考えるんじゃな。」
そうすれば馬鹿馬鹿しい他からの声なんて聞こえなくなるじゃろう。
わしは最後に唇で触れた傷跡を指の腹でなぞれば「ついでに、どうしてわしが自ら食事まで用意してお前に会いに来るかも考えると良いぞ。」と笑ってから、ゆっくりを身を起こした。もう少し此処に居て、芽生えかけた何かを育みたいところだが、これ以上は先生たちに見つかってしまう危険性もある。
「……、……さて、わしは見つかる前に戻るとするかのぉ…、〇〇、懲罰室はいつまでじゃ。」
「今日までだよ、明日には晴れて釈放でーす。」
「おぉ、そりゃあよかったわい。また泣かれても敵わんからのう。」
「ム、泣きませんけどぉ?」
「ど~~~じゃかの~。」
汚れを払うよう尻を叩きながら笑うと、最後に拗ねたままの彼女を撫でてから扉の方へと足を寄せる。
このあと、この懲罰室はまた灯りの無い真っ暗闇へと戻る。人に触れたあとの真っ暗闇というのは、酷く寂しさを感じるもので、そんな中、寂しさを紛らわせるように思案を巡らせれば、自然とわしが残した宿題じみた提案について考え始める筈。そうすれば彼女の頭はわし一色になるだろう。
ああ、これがあるから懲罰室は嫌いになれないのだ。
「じゃあの、〇〇。おやすみ。」
わしは扉を開いて、光を背に暗闇に飲まれた彼女へと向けて笑う。
そうして、扉がばたんと音を立てて閉じると、懲罰室はまたひっそりと暗闇に飲まれるのだった。