なんやかんや幼女④

 歩いてゆく、皆を追っていた。
 待って

「すまん、どうしてもお前を連れてはいけん」
「ごめんなさいね、アネッタ。でもこれは仕方の無いことなの」

 ねぇ、待って。みんな。

「お前を連れて行けるわけねーだ狼牙」
「チャパパー、おれたちはお守りじゃないぞー」
「ヨヨォイ、アネッタにゃあ悪いがこれも時の定め。ア、仕方のねェこと〜だァ〜!」

 どうしてそんなこというの

「所詮お前は昇進のための道具なんだよ。その道具が使えねぇのなら置いとく意味がねえ」

 私たちは仲間じゃなかったの?

「今のお前は必要無い」

 いい子にするから、いい子に……、……。

「っはぁ!!」

 高い所から落下するような感覚に、飛び跳ねるようにして起き上がる。短い夢の中で、アネッタは自分が置き去りにされるという悪夢を見ていた。心臓はバクバクと激しく鼓動し、体は汗で湿り気を帯びている。苦しい。胸が焼けるように熱い。アネッタは布団を掴んで、小さな身体で呻いたが、いまこの部屋には誰もいないのだろう。彼女を気遣う者はおらず、ただしんと静まり返った部屋に呻くような声が虚しく響くだけであった。

 痛みを堪え、深呼吸をして辺りを見回した。遠くにある窓はカーテンが引かれ閉じていたが、隙間からは明るい陽射しが漏れて白い線がぼんやりと浮かんでいた。

 どうやら此処は現実で、悪夢ではないらしい。ただ、どうしようもない恐怖感は心に孕む。それを取り除くために大きく深呼吸をするアネッタは、自分に言い聞かせるように言葉を落とす。

「あの悪夢はただの夢……みんなは優しいし、私は大切にされているし、仲間たちに愛、されて……」

 その時、アネッタの言葉がぴたりと止まる。

 果たして私は愛されているのだろうか。

 この小さな手で、何も出来ない無力で幼い、何も出来ない子供のことを。

 途端に背筋がぶるりと震えて、アネッタは「カク」とただ一言、名を零す。悪夢なんて日中のストレスが織りなすもので、深い意味はない。もしかしたら、以前に経験した失敗やこうだったら悲しいなという感情を反映したものかもしれない。悪夢なんて、ただそれだけのものだ。アネッタは悪夢がなんたるかを理解していた。しかし、一方で其れを素直に飲み込めずに膨れた恐怖は、小さな体を呆気なく飲み込んでしまった。

「……か、く」
「か、く!」

 小さな体に、彼の部屋はあまりにも広すぎた。
 熱を帯びた体を引きずるようにして広いベッドの上を這い、床に降りる。用意してもらった子供用の靴が目に入ったが、それもいまやぐにゃりと歪んで、ぽっかりと空いた口に足を向けても、ぎゅむりと靴を踏むだけで入れることが出来ない。

 靴を履くのって、こんなに難しかったっけな。

 子供だからかな。

 アネッタは額から伝う汗を拭うと、靴を履かずに遠くにある大きな扉へと足を進める。矢鱈と大きな扉は重たいが、背中をぴったりとつけて体を預けるようにすることで開くことが出来た。

 夜の訪れない不夜城エニエスロビー。いまだ夜の匂いが残る通路には、眩い日差しが差し込んで生まれた影を拭いこそしたが、どんなに明るくても深夜帯。普段は憲兵を配置した場所にも憲兵の姿はなく、まるでエニエスロビー全体が寝静まってしまったかのように、静けさに包まれていた。

 石畳を歩くとぺたぺたと音がする。石畳は素足で歩くと痛みを感じるほど冷たい筈なのに、今はひんやりと気持ちが良い。訳もなく「あっ」という声と共に、体が石畳の上に倒れる。途端にひんやりとした冷たさが全身に広がって、思わず頬を石畳の上に摺り寄せる。ああ、冷たくて気持ちいいな。誰もいなくて寂しい筈なのに、この確かな手触りと、冷たさが酷く心地よかった。

「おい、何をしている」

 そんな時だった、天から声が降りてきたのは。
 一体いつから彼はいたのだろう。

「る、っち」

 天から声が降りてきたからてっきり天使かと思いきや、長躯の男は天使というには険しい顔をしている。固い爪先が肩に触れ、朧気な意識の中で身を起こしたアネッタは身体を起こすことが精いっぱいで、小さな手のひらで彼の裾を握り占めて、頭を寄せた。

「質問に答えろ、何故お前がここにいる」
「み、んながいなくて」
「カクはどうした」
「いない……」

 言って、アネッタは心細さからルッチの裾を握る。

 だが、生憎この男は慈愛の心を持ち合わせちゃいない。裾を握る手に視線を落とした後、鬱陶しさを露わに手を払うよう足を前に引くと、裾を握りしめていた体がクンと前に引っ張られた末に手が離れ、硬い石畳の上に倒れた。これには肩に乗っていたハットリも驚いた様子で「ポォ?!」と短く鳴き声を上げて翼を打ち鳴らす。それからハットリは慌てた様子でアネッタの前に降り立つと、右に左にと移動を繰り返して心配そうに見つめ、嘴の先で石畳に伸びる腕を突いたが、なんせ彼女は体調不良中。熱に魘されるアネッタは、もはや身体を起こせない様子で、はぁはぁと浅い呼吸を繰り返すと、うわ言のように「…ま、って、るっち、おいてかないで、」と零して、もう一度裾を掴んだ。

「おい、離せ」 
「……やだ…」
「……」
「るっち、」
「……チッ」

 ロブ・ルッチは舌を打ち、思う。

 果たしてこの女はこんなにも我儘な人間だっただろうか。多少の末っ子気質はあれど、選択肢も与えられずに躾けられたこの女は馬鹿ではない。どこまでが許されて、どこまでが許されないかのラインを弁えている筈。それが何故、足に縋りつくのか。心の機微なぞ理解出来ない男に分かる筈も無く、ただハットリが此方を諫めるようにポオポオと鳴くからといった理由で屈み、アネッタの体を持ち上げた。

「ハットリ、カクに此奴のことを知らせてこい」
「ポオ!!」

 連れていった先は彼の部屋であった。辿り着いた頃には彼女の意識は朧気で、相変わらず体は汗で湿り気を帯びて、体も熱を持ち続けている。ぼやけた視界を鮮明にするよう瞼を擦り、鈍く瞬きを繰り替えすアネッタは、少しばかり安堵したように息を落とす。望まれずとも、一人じゃない環境がこんなにも安心するだなんて。ただ、意外にもルッチは部屋に辿り着いてソファに腰を下ろしてもアネッタの体を膝の上に乗せたままであった。

 普段は何をしたって退けだとかやめろと言う癖に、どうして。
 訳が分からず金色の瞳は、ルッチの顔を覗き込む。それから暫く見つめた末に小さな唇は疑問を向けた。

「おり、る?」

 しかし、問いかけに言葉は返って来ない。
 ルッチは優しく頭を撫でるわけでもなく、抱きしめるわけでもなく、ただ膝の上にアネッタを乗せたまま、手にした書類に視線を落としながら「……これじゃあ、お前が退くまでどこへも行けねぇな」とただ一言呟いた。

「え?」

 聞き返す。

「……」

 しかし、やはり言葉は返ってこない。

 アネッタはあまり働いていない頭を一生懸命に動かし、彼の言葉の意図を考える。そうして、彼の意図を理解したアネッタは顔を真っ赤にしたまま、ふにゃりと笑い「……へへ…本当だぁ……」と零した。なんだか彼の優しさがあまりにも暖かかったから。だからアネッタはふにゃふにゃへらへらと頬を緩めて笑うと、ルッチに凭れて幸せそうな表情でゆっくりと瞼を閉じた。

 それから暫くもなく、扉が騒々しく開きカクがやってきた。アネッタのお世話係でもある彼は、ルッチの上で眠るアネッタの姿を見るや否や、息を落とす。どうやら随分とアネッタのことを探していたらしい。普段は冷静沈着であるくせに、彼は取り乱した様子でその場に座り込むと「〜〜〜っっ、はぁ…!よか、った、此処におったんか」と声を振り絞るようにして言った。

「……すまんな、ルッチ。此奴は回収していく」
「起きるまで待て」
「え?」
「……」
「……、……甘々じゃのう」
「うるせぇ」

 ぶっきらぼうな言葉に、若干の呆れた声が響く。
 その会話なんて露知らず、小さな少女は寝息を立てる。すうすうと、すうすうと。じきに彼女の熱は下がるだろう。けれど、あともう少しだけ、このままで。彼女は願うようにルッチの服を握りしめて頭を摺り寄せながら眠り続けていた。