ちょっかい

 煉瓦を敷き詰めた、色とりどりの煉瓦道を競争の場に、ころころと坂道を転がってきた林檎を見て、思わず手が出てしまった。一つ、二つ、三つ。一体どれだけの林檎が転がっているのだろう。ひとまず転がり落ちてきたものを順番に拾い上げてみたものの、転がり落ちてくる林檎は想像していたよりも多かった。一つ二つならば良かったが、拾っているうちに抱えきれなくなった女――アネッタは残りを足で止めてみせたが、いくつかは止められずに転がり落ちてしまった。

 しかし、追いかけたくとも腕の中はまさに手一杯で、足でも林檎を止めている。そんな状況で動くことも出来ず、申し訳なさそうに林檎を追ってきた女性に、足元の林檎を拾い上げてもらうと、手に持ったバスケットへと転がす。

 訳を聞くと、どうやら路地から飛び出てきた子供たちに驚いて、手に持ったバスケットをひっくり返してしまったようなのだが、それにしたって随分と派手にやったものだ。

 しかし、持ち主はまだ一歳にも満たないような赤子を抱えていた。赤子は呑気に自分の手を見て、不思議そうな顔をしながら喃語を喋っていたが、それを見ていると、この状況で取りに行くのは大変なのではと妙なお節介心を抱いてしまう。

 そこで、アネッタは申し訳なさそうにする持ち主に向けて「いえいえ…あぁそうだ、いくつか転がって行ったので拾ってきますね」と提案を持ちかけたその時。目の前がふっと陰に入ったように薄暗くなったかと思うと、後ろからぬうっと逞しい腕が伸びて「これで全部だ」という言葉と共に、二つの林檎がバスケットへと向けられる。

 驚いてアネッタと持ち主、それから赤子も一緒に其方を見ると、其処には太陽を背負う、恰幅の良い男が立っていた。

「ベン……ベックマン……」

 その男のことを知っていた。ロマンスグレーの髪に、左目に残る大きな傷跡。
 ――彼は赤髪海賊団・副船長のベン・ベックマンだ。

 アネッタは思わず彼の名を零すと、持ち主は連れ人だと思ったのだろう。申し訳なさそうに頭を下げると「ありがとうございました。お礼にもならないのですが、よかったらそちらの林檎はお二人で食べてください」というと返答をする前に、あの大量の林檎が入ったバスケットと、それから赤子を連れて坂道をまた昇り出した。


 そうして、残されたアネッタは思う。気まずいと。
 なんせベン・ベックマンとは敵対する海賊で、彼女は海賊が敵対する世界政府直下の暗躍諜報機関CP9だ。早い話がこの二人は敵対関係にあって、此処で仲良くしているわけにもいかない。しかし当の本人――ベン・ベックマンといえば「分け前だ」といって林檎を一つ差し出すので、アネッタは林檎とベックマンを交互に見て、最後に恐る恐るといった様子で林檎を受け取ると、頭を下げた。

「あ………りがとうございます」
「なんだ、一つじゃ不服か?」
「あ、いえ、そんな。……まさかベックマンさんと会うとは思わなかったので、びっくりしちゃって」
「……そうか」
「ベックマンさんとお会いするのは久しぶりですね。……今日はどうして此処に?」

 それは他愛のない会話だった。
 特にこの辺りに赤髪海賊団がいるという情報は入っていなかった。それがいま此処にいるのだから、恐らくは最近此処へとたどり着いたのだろう。ベックマンは咥えた煙草を指でつまんで離すと、ふーっと煙を吐き出したあと「買い出しだ、そろそろ食料が尽きてきてな」と言葉を返す。

「ははぁ、なるほど。……大丈夫だと思いますけど、強奪とかはしないでくださいね」
「そういったことをしているのなら、その林檎だって渡していないだろうよ」
「あははっ、それもそうですね。赤髪海賊団のみなさんは温厚な方が多いので助かってます」
「…ク……、そいつはどうも」

 これが他の海賊であればこの場をすぐに離れただろうが、一応顔見知りだ。確かにアネッタCP9で、ベックマンは海賊。それは間違いないが、懸賞金を何十億とかけられている赤髪海賊団の副船長相手に単独で喧嘩を売るほど馬鹿じゃあないし、彼もまた小娘一人に手をかけるほど馬鹿ではない。

 よって、アネッタはただの顔見知りと対話を継続して、時折雑談の中に詮索を忍ばせたがベックマンは「詮索が上手くなってきたな」と笑うだけで、簡単にかわされてしまう。

「ベックマンさんってほーんと可愛げないですよねぇ」
「おれ相手に可愛げを求める方がどうかしてるな」
「少し情報を出すぐらい、いいじゃないですか」

 唇を尖らせながら、黒い袖口できゅきゅきゅと林檎を磨いて、光沢が増した部分に齧りつく。途端に広がる程よい酸味と甘みに、しゃくしゃくと咀嚼を繰り返していたがベックマンからしたら、まさか此処で食べ始めるとは思っていなかったのだろう。三白眼の瞳を薄く開くと、「ふ」と一音落としたかと思うと、林檎を持つアネッタの手首を掴んで其処に唇を寄せた。

 その瞬間、しゃく、という短い音と共に僅かに鼻を擽る煙草の匂い。動揺で揺れる金色の瞳の向こうで、反対側を齧ったベックマンが笑い「見返りがないからな」と囁くように言って体を起こした。

「んぐ……っか、……らか…ってます?」
「いいや?ただの見返り交渉だ」
「世界政府相手に見返りなんか求めないでくださいよぉ……」

 林檎と同じように色づいた耳を見て、ベックマンはまた笑いを落とす。しかし、先のちょっとしたお遊びにより警戒体勢に入った彼女はハッとした様子で「もしかしてさっきの林檎を拾ってくれたのも…見返り求めてじゃないですよね」と疑いの目を向けるので、どうだろうなというように白々しく肩を竦めると、アネッタは眉間に皺を寄せて困ったような表情を浮かべた。

 ――まぁ、勿論、見返りを求めての行為ではない。ただ足元に転がってきた林檎を拾っただけで、彼女だと分かったのも拾った後のことだ。それに邂逅したとはいえ、もしも林檎を拾って見返りを求めるのならば、それは彼女ではなくあの赤子を抱えた持ち主に求める事になる筈。ただ、目の前の彼女は小難しい顔をしてううんううんと唸っているので、面白いから黙っておくかと視線を落としたベックマンは、煙草を咥えてアネッタを見る。なんとなく、彼女がこうして百面相をしているところを見ることが好きなのかもしれない。

 それが果たして本当の意味で好きなのか、それとも懐かしいという感情が正しいかは未だ分からないが、それでもわざわざ「見返りを求めての行為ではない」と正解を与える気にはならなかったのだ。

 アネッタは相変わらず見返りを考えていた。しかし、不意にぴくりと何かに反応するように顔を上げると、どこからともなく彼女の名前を呼ぶ声が聞こえてきた。おーい、アネッタ。アネッタ―。その声を聴いて、アネッタが「わ……そろそろ行かなきゃ」と零す。
 恐らくいまの声は、いつも彼女の隣に立ち此方を睨む帽子の青年のものだろう。
 焦りを滲ませる彼女の瞳が此方を見上げ、「見返りはまた今度ですかね」と問いかけてきた。

「……それはまた会おうというお誘いか?」
「えっ、いや、特にそういう意味では……ないですが、そうですねぇ、ふふ、じゃあまた考えておきますね」

 肩を揺らす彼女は笑う。それから彼女は「それじゃあ、また」と言って背を向けたが、今だ見返りを貰っていないからなのか、そのまま返すのはどうにも惜しく思う。ベックマンは煙草をもう一度指に挟んで離すと、彼女の後ろ襟に指を引っかけて、引き留めながら項に向けてふー…っと煙を吹きかける。

 項に直接吹きかけたそれは、暫く彼女のフレグランスとして残る筈。つまりは文字通りの匂わせ行為であり、待ち人への嫌がらせなのだが、鈍い彼女は「あの…何か?」と引き留めた理由を求めて首を傾げるので、早々に手を離すと片手に残っていた林檎を彼女に託して、後ろ背を見送った。

 さて、待ち人の反応はいかに。