指揮官は笑う

 森林奥深く。其処は雪が降り積もり、音のない世界であった。時折聞こえるのは、木の上に積もった雪が一度に落ちる音だけで、それらも深雪がクッションになって音の殆どをかき消してしまう。そんな雪の積もった森林奥深くにて、厚着のコートを着た男が、隣に立つ女──アネッタに向けて静かに問いかけた。

「作戦は頭に入れておるな」
「うん、カクの合図が出たら、私は相手方を一気に叩く、だよね」
「あぁ、お前は場をかき乱せば良い…派手にやっても構わん」
「オッケー分かりやすくてありがたいよ」

 言いながら、アネッタは雪を小さく丸めたものを口元へ運ぶ。気温よりも体温が高いことで起こる白い吐息を消すためだ。なんせこの戦場予定地では、何が原因で敵に見つかるかは分からない。ならば、こういった小さなことでも不安点は消さなければ。

 口の中で溶けて、喉を通る雪解け水は体温を下げる。試しにハアと息を吐き出しても、吐息が白く凍ることはなく、アネッタはひとりでに頷いたあと拳を握って指揮官へと向ける。これは単なる作戦成功を願うおまじないのようなものだが、二人の間ではすっかりと慣習になっていた。

 カクは目の前に差し出された拳を見ると、ふっと息を漏らすように笑って拳をこつんと当て「失敗は無いぞ」と呟いた。


 息を殺し、身を潜める。ちらりと覗き見た先で、揺れ動く数は十、二十、──四十程度だろうか。一個小隊となった集団は、雪で足場が悪くなっていることを考慮してか馬に乗っており、馬と人間たちの吐く白い息で靄を纏っているように見える。

 これからあの一個小隊を、たった二人だけで殲滅をする。相変わらず無謀な指令を寄越したものだと呆れは落ちるが、肩から下げるマスケット銃を見るに、能力者はいないようだ。数だけで言えば圧倒的に此方が劣っているが、能力者がいないのであればなんとかなる。と信じたい。

 心臓の音だけが響くなか、視界の端に捕らえたカクが前方を睨む。そうして一秒、二秒、三秒と経つ間も口元は固く結んでおり、僅かに薄く目が開いたあと、カクは指を揃えた手のひらを前へと向けた。

 ――合図だ。

 その瞬間、女はバチバチと閃光瞬くと共に、岩を纏う巨大な黒竜へと姿を変える。爪で地面を抉るようにして大地を蹴り、目の前を遮る木を全てなぎ倒しながら、翼を大きく打ち鳴らす黒竜は、奥に見える白影に向けて己の存在を知らしめんばかりに吠えた。

「グオオオオ!」

 咆哮は、山彦のように響く。竜の存在に気付いた馬上の男たちが竜に向けて、肩に下げていたマスケット銃を向けるが、馬とは繊細な生き物だ。唐突に現れた竜の咆哮に驚き、これ以上は進めないと両の前足を大きく上げる。
 それにより手綱を握らずに銃を構えた男たちは後ろに振り落とされ、その勢いで引き金を引いたマスケット銃が頭上を打ち、銃声が辺り一帯に響いた。

「ッドラゴン?!」
「なんだこいつは……!」
「こんな奴がいるなんて聞いていないぞ!!」
「ええい、怯むな!相手はデカい!打てば当たる!!」

 男たちは後ろに後ずさって狼狽える。しかし、それを指揮とみられる男が一喝すれば、動揺はそれ以上に膨らむことはなく、男たちは息を飲みながら一斉にマスケット銃を構えたが、戦場で一瞬の隙を見せるとどうなるか。――思考と行動の最中にも、慈悲なく距離を詰めた竜の腕が、男たちを薙ぎ払い、黒く尖った爪が喉を引き裂いていく。

 ともすれば残りの前衛部隊は恐怖を募らせて、ヒ、と息を落とすがどれも隙を与える行動でしかない。ぎらりと向いた金色の瞳は、それらを見下ろして腕を振るう。

「グオオオオオ!」
「後衛部隊!構え!!──放て!!」

 もう一度吠える竜に向けて、後衛部隊がマスケット銃を放つ。耳をつんざく銃声に続き、複数の礫が群集となって的を狙うも、硬い岩は傷もつけずにそれらを弾く。それが何故なのかは竜の「鉄塊」という言葉が物語るが、その言葉を知らない者からすれば、この竜を倒すための策が無駄に終わったのだ。絶望でしかない。

 なんせ彼らの武器はマスケット銃と、腰に下げた刀しかない。だが、マスケット銃が効かないのだ。刀が効くようには思えないし、ましてや竜を相手に特攻するだなんて命を投げ捨てるようなものだ。指揮官は動揺を滲ませながらも「……っ放て!次だ!放て!!」と気丈に振る舞い指示を送るが、希望を絶たれたものは、先ほどよりも行動を躊躇する。こんなことをしてなんになるのかと、一瞬だけ考えてしまうのだ。

 その一瞬の隙間をついて、ぬうっと伸びる固い両の手が指揮官の頭を叩く。パン。と短く破裂音が響いた。

 ──戦場では、指揮官の存在失くして勝利は無いと言われている。それは戦略の立案と実行、それから部隊やチームの調整や指示を行うためだ。それゆえ希望を失った残る部隊というのは脆いもので、露骨に動揺を見せて抵抗どころか傷一つもつけられずに死んでいく。その中でも勇敢な者はそれでも此方に向けてマスケット銃を向けたが、向けたところで同じ手を繰り返すようじゃ、打開策とは言えない。

 振り向きざまに、鞭のようにしなる竜の尾が辺りにいた後衛部隊の一部を弾き、雪と一緒に辺りに落ちる遺体を上に払う。それにより視界が遮られた後衛部隊は狼狽え、それでもなお、死にたくないという気持ちが引き金を引いたが、竜の姿が見えない以上、遺体や目の前を舞う雪に余計な風穴を開けるだけで、彼らよりもうんと大きな黒竜が振り上げた手が無慈悲に振り下ろされ、彼らの意識はそこで途絶えるのであった。

 途中で「待ってくれ、おれには妻と子が」「いやだ!死にたくない!」という声が聞こえた気もするが、それも力を込めた後には音が無くなり消えてゆく。目の前の真っ白だった雪はトマトをつぶしたように赤かったけれど、それでも目の前が開け、上手く言っている事を示す感触が、自分をどうにか奮い立たせてくれていたように思う。

 そうして静けさが訪れた一帯。時間としては十分と経たなかった筈で、後ろの方から遺体を踏んづけながらやってきたカクが「おお、随分とうまくやったのう」と言って、ぽんぽんと鼻の横をあやすようにして叩いた。

「これで一個小隊は殲滅完了じゃが……じきに後ろを歩く小隊もいくつか来るじゃろうな」
「いまの騒ぎで気付いたかな…?」
「ああ、まぁ銃声も、お前の咆哮もよく響いておったしのう。何かあった、とは思われておるじゃろう」
「う……ごめんねぇもう少しやりようあったかな…今みたいな不意打ちもできなくなっちゃうし」

 アネッタが息をつく。派手にやって良いとは言われていたが、それにしたって好き勝手にしすぎたかもしれない。見れば辺り一帯の木は折れて、其処に散らばる遺体や血の惨状は行き過ぎた行動のように思えて仕方がない。アネッタはカクに向けて詫びるようにクウクウと鳴いて大きな頭を摺り寄せたが、彼は咎めるどころかキョトンと眼を丸くするだけで、肩をゆらゆらと揺らめかせて笑った。

「うん?あぁ、いや、怪我なく殲滅できたんじゃ。十分すぎる成果じゃろう。……それに、やり方はいくらでもある。姿を小さくできるか?」

 そう言ってもう一度ぽんぽんと撫でるカク。アネッタは褒め称えるその手のひらが心地よく、心が弾むように嬉しい。彼女は鰐の尻尾に瓜二つな尻尾をぶんぶんと振るい、もう一度頭を摺り寄せると続く問いかけに、「竜の姿で?」と尋ねた。

「あぁ」
「はいはい」

 意図は分からなかったが、彼がやれと言うのならばやらなければならない。

 アネッタは木をなぎ倒すほどの大きな体を丸めると、次に瞬いた瞬間、その体は手のひらほどのちいさな竜へと姿を変える。とはいえ体のサイズがこうも違うと翼を打ち鳴らす感覚も異なるのだろう。多少不安定に空中をぐらぐらと揺れ浮いており、カクは小さな竜の尾尻を支えるようにして手のひらで持ち上げると、小さな竜はぺたんとそこにお尻をつけた。

「ありがとう。ええと……これでいい?」
「あぁ、この姿じゃったら元の姿よりも身を隠しやすいじゃろう」
「奇襲もかけやすいってことかぁ」
「そういうことじゃな。……ああ、アネッタ。次も盛大に暴れてええぞ」
「ん、いいの?」
「ああ。何も小隊たち全てを殲滅したいわけじゃないからのう。引き下がってくれれば、わしらの手間も省けるというもの」
「なるほどね、……それじゃあ、いくつめで引き下がってくれるかな」
「馬鹿な指揮官ではないことを祈るばかりじゃな」

 小さな竜と男は笑う。

 足元に転がった遺体は良い囮になるはずだ。カクは主を失った馬を見て、足元に転がった遺体を蹴って退路を作ると「ほれ、お前たちは後ろのものに惨状でも報せてこい」と軽く体を叩く。
 自由になった馬は退路へと走る。きっとあの馬が、この先で何かが起きていることを知らせてくれるに違いない。


「さて、そろそろ始めようかのう」

 その言葉を合図に、小さな竜は手のひらから飛び立って曇天の空を駆け上がる。そうして次にやってくる間抜けな一個小隊を目に、カクは指を揃えた手のひらを前に向けた。