思春期デビュタントは続く

 デビュタント。
 それは、初めて社交界にデビューする若い女性と、それを祝う場のことである。

「アネッタが出られない?」

 デビュタントの当日。潜入任務にあたり、デビュタント役を担うアネッタが出られなくなったことを聞いたのは出発の三時間前のこと。聞けば、今夜行われるデビュタントに急遽天竜人が出席すると言い出したことが原因のようだが、それにしたって急すぎる。まぁ、竜人族という希少民族である身分を隠して生きる以上、彼女を天竜人から遠ざける事は当然の判断ではあるが、それにしても。

「あのね、デビュタントって綺麗で大きなお屋敷でやるんだって」
「ドレスもね、カリファと一緒に選んだの!」
「ファーストダンスはカクと踊れるし、綺麗なドレスも着れるし……なんだか任務様々だよねぇ」
「…、………楽しみだなぁ」

 それこそ、夢に恋い焦がれる少女のように瞳を輝かせていた彼女のことを思うと、どうにも胸が痛む。せめて見たがっていた正装姿だけでも見せようかと思ったが、気付いた頃には彼女の姿は見当たらず、今回の任務にあたる一同は正装に身を包んでエニエスロビー駅へと向かっていた。
 厳かな場であると知られたエニエスロビーに、華やかなドレスや正装に身を包んで列をなして歩く集団というのは目立つもので、普段以上に身を引き締めた黒服たちの敬礼を受ける。それを見て、ルッチは鬱陶しい事この上ないという表情を見せたが、司令長官のスパンダインや、その息子であるスパンダムはどこか満更でもない様子だ。

 そんな厳かな場を「カク!」と弾む声が打ち砕き、満更でもない様子だった二人はその声を辿る。駅の方から走って来る少女はこの場にはそぐわないラフな私服姿で、スパンダインは少女をじろりと見下ろして「なんだ、騒々しい」と諫めた。

「あっ」

 少女――アネッタは、しまったという顔で頭を下げる。
 しかし、アネッタに向けて今夜デビュタントに出るなと言ったのは、他でもないこの男だ。スパンダインとしても多少思うところがあるのだろう。浅い呼吸を繰り返すアネッタを暫く見つめた後、小さく息を吐き出すと「早くしろ」と、カクだけをその場に残し、「親父、いいのか?」と尋ねるスパンダムや、後ろを歩くルッチ達を引き連れて、ゆっくりと歩き出した。

「はぁぁぁ………びっくりした……でもよかったぁ…間に合った……」

 暫くして、額に汗を滲ませるアネッタが、胸を抑えながら呟く。

「アネッタ一体どうしたんじゃ、そんなに急いで……」
「あのね、今日デビュタントの日でしょう?だから、あの──……」

 そう言って、汗を垂らすアネッタが顔を上げた瞬間、彼女の瞳が大きく揺らいだ。それから暫くの合間、言葉を失ったように黙り込むアネッタは、瞳を不自然に逸らして「えと、あの」「あの、……えっと」と言葉を濁らせる。カクは抱いた違和感を逃さずに「どうした」と尋ねたが、彼女は手に持っていた小さな箱を後ろに隠すだけで答えやしない。

「何か用があったんじゃないか?」

 カクはもう一度尋ねる。ただ、答えは同じで、濁った言葉が幾つか零れ落ちた後、「……いってらっしゃいって言おうとおもって」と苦し紛れの言葉が落ちる。アネッタとて、その言葉が苦しいことくらい理解しているはずだろうに、一体何故そんな言葉を。言葉が濁ると共に、表情を曇らせる彼女を見るのはどうにも嫌で、カクは手に覆う白手袋を外して、額に滲む汗を指先で拭うとアネッタはこそばゆそうに瞳を伏せた。

「そんなに汗だくになってか?」
「う、うん」
「………まぁ、別に話したくのないなら構わんが、」
「……」
「……その箱、わしへのプレゼントだと……己惚れても良いのか?」

 極端に自己肯定感が低い彼女は、此方から促さなければ話さないだろう。ただ、後ろに隠したものが己に向けたものであるのなら、この機会を逃したくはない。
 ちらりと彼女の背後へと視線を向けると、長い睫毛の奥に潜む金色の瞳が言いづらそうに「あ……、……っあの、……あのね」と機会を伺い、そして後ろに隠した箱を此方へと向けた。

「………デビュタント、私は出れなくなって……行くことすらできなくなったから、せめて何かしたくて……ブローチ、を……その、ブルーノに付き添ってもらって買った、……んだけど、もう、してたから……」
「あぁ、そういうことか」

 確かに彼女の指摘通り、ネクタイの結び目には海を閉じ込めたような青色に輝く宝石をあしらったブローチがある。己がつけるには少々華奢なデザインのそれは、陽射しを受けてきらきらと輝いており、美しい曲線を描く金の幾何学模様は円で花を描いており少々女性的かもしれない。

 カクは言いながら、手袋に指を通すと箱を取り、「開けてもいいか」と問いかける。
 頷くアネッタを見てからリボンを解き、蓋を開けると、そこには美しい新緑の宝石を一つ使ったブローチが鎮座していた。此方は丸と三角で太陽を描いた幾何学模様の中心に宝石が鎮座しており、細かくカットを施されたそれは、日差しを受けて強い煌めきを放っている。

 ブローチは品格を表すものだと言われているが、純銀で作られた幾何学模様を見るに、そのあたりも考慮してくれたのだろうか。あまり貰ったものに対して品定めはしたくはないが、これならば美しい宝石だと目を引くことはあっても違和感を与える事は無い筈だ。

 そう冷静に思う反面、こうして彼女が高価なものを自分相手に贈ってくれる。その事実が何よりも嬉しくて、じわりと心臓に溶け込む暖かな気持ちに目元が緩んでしまう。

「………綺麗な緑じゃの」

 春の陽射しを受けた、若葉のような淡い黄緑色の中で、赤、白、黄色、緑と暖かな陽射しの色が光る。

「……この石はスフェーンっていってね、ダイヤモンドよりもぎらっぎらなんだって」
「ほう……ダイヤモンドよりも…」
「……あと、いろんな色でキラキラしてるのも、…なんとなく新緑みたいなところも、カクっぽいなぁって」
「……新緑はわしっぽいのか?」

 カクは不思議そうに尋ねる。
 なんせ自分は殺し屋だ。それが木々に芽吹く新緑とは結び付かなかったのだ。


 アネッタは、いつも手を差し伸べてくれるカクのことが大好きであった。その大好きの正体はいまだ分からないけれど、それでもこのスフェーンを初めてみた時、新緑がそよそよと揺れて、きらきらと差し込む陽射しのなかで「アネッタ」と手を差し伸べてくれるカクのことを思いだしたのだ。
 まぁ、それをうまく言語化することが出来ず、アネッタはただ馬鹿正直に「うん!」と元気よく返事することしかできなかったが。

「……そう、か」
「あ、あとねスフェーンは人脈を引き寄せて成功へ導く力があるんだって。なんだか今回の任務にぴったりじゃない?」
「ほう…、そういうところまで考えてくれたのか?」
「えっ、あっ、こ、……これはー…選んでから分かった……やつ、かな?」
「っはは!なるほど、……まぁお守りにもなるということじゃな」

 カクはゆらゆらと肩を揺らすように笑いながらネクタイへと手を伸ばし、結び目に鎮座するブローチを外す。それから外したブローチをアネッタへと向けると「わしのと交換じゃ」と差し出した。

「え?」
「お前のものはわしが付ける。じゃから、お前はこれを受け取ってくれ」

 唐突な提案に、「え、で、でも」と戸惑いを見せるアネッタ。
 確かに、まだ自分たちは十六歳だ。本物の宝石を扱ったブローチを交換しあうのは分不相応で、これらをつけたところで、しっくりくるようになるのは少し先の未来かもしれない。
 それでも、少しくらい察してくれても良さそうだがとカクは小さく笑うように息を落とすと、真っ直ぐにアネッタを見つめた。

「……これが、どういう意味か分かるか?」
「……え、っと」
「……初めてデビュタントに出るお前へ、渡したかったんじゃ。……まぁ、まさか上の事情とはいえこのタイミングで出れなくなるとは思わんかったから自分で使ってしもうたがのう……ただ、お前から貰えるとも思っておらんかった。……じゃから、交換しよう。お前がくれたそのブローチと、お前に渡したかったこのブローチを。」

 そうして互いに交換しあったブローチ。互いの手の上で光るブローチは美しく、ネクタイへと留めなおす間、アネッタがぽつりと呟く。

「……もし次の機会があったら、これをつけたいな」

 カクはそれを見て、ブローチから手を離すと、言葉無くアネッタの手を掬い取り、王子様よろしく揃えた指の根本へとキスを落とした。

「……じゃあ、その時はわしと踊ってくれ」
「……下手かもしれないよ?」
「うん?わはは……それでもじゃ。それに、ファーストダンスの権利はわしが貰い受けたいからのう」
「ふふ、なんか…王子様みたいだね」
「そうか?」
「うん、……あっ、正装着もすごく恰好いいよ、王子様みたい」
「はは、そうか。……うん、お前がこの恰好が良いと言ってくれるのなら、良かった。」

 少し離れたところで「そろそろ出るわよ」というカリファの声がする。カクはそれに「あぁ、すぐ行く!」と言葉を返すと、「それじゃ、いってくる」と、そう短く言い、新緑を輝かせて背を向ける。
 きっと、彼は今日、お屋敷の中で一番の注目を受けるはずだ。アネッタは寂しさとはまた異なる黒い感情を孕ませながらも、きらきらと輝く海を掲げると「いってらっしゃい!」と手を振った。