小さな竜は壊される

 人間に似た容姿を持ち、竜と成る事のできる竜人族・アネッタの体が、前触れもなく小さな竜になって三日目。戻る気配も無い事から、風呂に入れられたアネッタはぐったりとしていた。それは、体を覆う岩のような鱗を、タワシだとか、ヘチマタワシだとか、果てはハブラシが隅々まで磨いて、さらにはついでとかいって、大嫌いな爪切りまでしてきたからだ。

 そんなこんなで抵抗疲れのアネッタは、へろへろとテーブルに置かれた果物籠の中に体を倒す。果物籠の中には、この中で寝るには痛かろうと、カクが入れてくれたシャツがくしゃくしゃにまるめて敷かれており、それを布団替わりにしているアネッタは、意味もなく果物籠の中でくるくると回って体制を整えると、段々と意識が重くなるような感覚に、抗う事なく、ゆっくりと瞼を閉じた。

 そうしてゆっくりと羽を休めて次に目覚めたのは、窓から差し込む陽の光がすっかり茜色になった夕刻時。アネッタは起床後、すぐに体を起こすことなくカクの匂いが残ったシャツの中で意味もなくうごうごと手足を動かしたり、尻尾を揺らしていたのだが、妙な違和感に気付いて体を起こした。

何か、廊下の方から覚えのない匂いがするのだ。

「んん……?」

 アネッタは首を傾げる。
 こんな悪趣味な甘ったるい匂い、誰か好んでいたっけ。

 カリファにしては悪趣味で、ルッチやブルーノたちにしては甘すぎる。しかし、覚えのない匂いの塊は確実にこの部屋へと近付いてきており、たまらずカクが敷いてくれたシャツの中に身を隠すと、ドアノブがゆっくりと一人でに傾いて、そして、キィと音を立てながら開いた。

 見れば、其処には見覚えのない小太りの男が立っていた。男は、忙しなくきょろきょろと辺りを見渡して中に誰もいないことを確認すると、手のひらを合わせて蠅のように擦り合わせながら笑う。

「ひひ…女の部屋か……何か宝石でもあればいいんだが…」

 ああ、成程。どうやらこの小太りの男は盗人らしい。
 早速室内に積まれた木箱やチェストの引き出しを開いて、物色を始めている。

 しかし、犯罪行為を見たとしても、いまのアネッタは世に存在を隠し続けている竜の姿で、あの盗人に見られるわけにはいかない。つまりは、カクの服の中でそおっと覗くことしかできない、小さくて、何もできない。哀れな生き物でしかなかったのだ。

「……」
「…………」
「ああ、く、くそ、か、海軍の船だから何かあると思ったのに…!全然、全然ないじゃないか…っ」

 そして、哀れな生き物がもう一人。
 盗人は、金目のものがないと嘆く。木箱を覗き、それからサイドテーブルなど、ありとあらゆる引き出しを開いたのだが、金目のものが何一つ見つからなかったのだ。

 ああ、竜に”戻って”しまったことをきっかけに、お金とか、諸々をカクの部屋に移しておいてよかった。

 そんなことを思いながらも、ジイと盗人の動きを観察していたアネッタは、物色を続けていた盗人の目が此方を向いたことに気付いて体を隠したのだが、気付けば盗人はもうヤケになっていた。そんなところに金目のものなんてある筈もないのに。意味もなくゴミ箱をひっくり返したり、テーブルの上にあるペン立てをひっくり返したり。そうして、半ば投げやりにテーブルの上に置かれた果物籠を覗いた男は、果物籠に不自然に収まった男物のシャツと、膨らみを見つけるとシャツを引き上げて―――其処に体を倒す竜を見つけた。

「……な、なんだこれ…玩具か……?」

 しぱしぱと目を瞬かせる盗人。
 もちろん玩具というのはアネッタのことだ。アネッタは盗人に見つかる寸前のところで、玩具のフリをしたのだ。
 身を固く引き締めて、硬直したように動かない。瞬きもしない。そんなアネッタをみて盗人は、はじめこそ訝し気な表情を浮かべていたが、アネッタの体を鷲掴んで、手首を捻るようにして右に左にと傾け、上下に振って。時には鱗の薄いお腹をぷにぷにと触って観察を続けると、アネッタのことを玩具と結論づけた。
「でもよくできてるな…本当に生きてるみたいだ…」
 が、同時に、金目のものとして取り扱うことを決めたらしい。

「へへ……し、質がいいから売ったら金になるかもしれないな…」とようやく見つけた金目のものを前に、にやける顔を抑えられずににやにやと笑っていた。

 だが、そんな小さな夢も、終わりを告げる時がきた。

「おっと、誰じゃ?この船は関係者以外立ち入り禁止じゃぞ」

 音もなく、男が現れたのだ。

「あ………」

 盗人は現れた長鼻の男――カクを前に一音を落とした後、黙り込む。恐らくは、関係者を前にして必死に言い訳でも考えているのだろう。「あぁ、もしかして海兵さんかい?いや、実はちょっと海軍の船に興味があって」「実は入るつもりはなかったんだが、海兵さんが少しなら見学してもいいといったから」「アンタの部屋だったのか?悪かったよ、迷って此処に入っただけなんだ」そんなお粗末な言い訳を並べながらも、焦りを誤魔化すように手の内に収まるアネッタの体をぎゅうと握りしめる。

「―――っきゅ」

 盗人は余程焦っているのだろう。手に込めた力は次第に強まり、ぎりぎりと締め付けが強くなると、やがて、小さくぺきッと渇いた音が響いて、その反動で堪えきれなかった鳴き声が落ちる。
 盗人も思わず緊迫した空気にも関わらず「うん?」という顔をして視線を落そうとした――が、カクはそれを許さない。

「ここはおぬしが理解しておるとおり、海軍船じゃ。おぬしが勝手に乗船していいところじゃないぞ。」
「あ、あぁ、悪かったよ。謝って入って」
「それからその手に持ったものは置いていくんじゃな」
「え?」
「盗人ではないのじゃろう?」
「あ、あぁ…!こ、これかい?いや、これはたまたまみつけて……」
「……」
「わ、わかったよ、返すよ。」

 そう言って小太りの男は手に持ったアネッタの体を足元に落とすと、硬い鱗で覆われた体が叩きつけられ、ごとん、と鈍い音が響く。実情としては、玩具のフリをして動かないだけなのだが、カクからすれば殺したようにでも見えたのだろう。盗人を見つめるカクの顔からすうっと笑みが消えて「そいつに何をした」と低い声が男を刺す。

 ゆっくりと硬い靴底で床を叩くようにして距離を詰めたカクは、ぴくりとも動かない竜を拾い上げると、盗人は、“たかが玩具”に何を怒っているのかと、そう言いたげに「な、何をそんなに怒って」震えながら問いかけた。

 男の素知らぬところでカクの指先が脈を図るように腹を抑える。遠くで心臓がとくとくと静かに動いていることで玩具のフリをしているだけであることを悟ったカクは、アネッタに視線を送ることなく、そのままでいるように、というようにアネッタの腹をすりすりと撫でると、元の果物籠へと寝かせてから視線を男へと戻した。

「これはわしの大切な、いわば宝物でのう……それを奪おうとしたんじゃ、許せると思うか?」
「……っ」
「……のう、黙っておったら分からんじゃろう。」
「ひっ」
「…その口はお飾りか?ほら、おぬしはどう思う?」

 カクの言葉は正義なんてものを背負っちゃいなかった。ただ、己の玩具を傷つけられたから、それ相応の仕返しを。そんな子供じみた考えで、一歩、また一歩と踵で床を叩きながら近付くカクに、盗人は本能で危険を悟り、後退る。

 盗人の頭に警鐘が鳴り響いたのだ。

 早く逃げなければいけない。こいつは海兵なんかではないと。

 しかし、男が逃げるよりも早く、ぬうっとカクから伸びた手のひらが頭を捕える。五本のしなやかな指はまるで万力のようにぎりぎりと、じわじわと締め付けて、男は痛みに声を上げたが、なんせここは海軍から奪っただけの船だ。海兵はいないし、止めに入るほどやさしい者は乗り合わせちゃいない。

 メキメキと、ミキミキと。人からしてはいけない音が響く。指の隙間から見える盗人の目はぐりんと上を向き、「あ……あ……」と叫びにならない音を落としながら泡を吐くと、やがて、べき、という音が響くと同時にその体は解放され、床に叩きつけられた体はぴくりとも動かなくなった。

「……アネッタ、もう動いてもいいぞ」

 カクが声色を緩めながら零す。アネッタはその言葉を受けて籠から顔を出すと、下に倒れた盗人を見て「……殺しちゃった?」と問いかける。

 確かに盗人は倒れて以降ぴくりとも動かないし、口元に溜まる泡を見るに死んでいると言われてもおかしくない状態だ。しかし、カクはそれに対して、ふはっと腹に溜まる空気を換気するように息を吐き出すと「いやぁ、盗人とはいえ一般市民じゃろう。さすがに殺しはせん」と笑い飛ばすので、恐らくはまぁ、そういうことなのだと思う。

「じゃあ、おもちゃのフリはして良かったってことだ」
「はは、そうじゃのう。お前が竜だとバレておったら殺さんといかんじゃったろうな」

 カクのしなやかな指が、アネッタの顎を摩る。すりすりと、すりすりと。その指先は盗人に向けられたものとは違い、優しい。アネッタもそれに心地よさそうに金色の瞳を細めて、お世辞にも手触りが良いとは言えない、岩を纏った頭をごつごつと指に摺り寄せると怖かったという代わりに「抱っこ」と小さく強請った。


 暫くして、騒ぎを聞きつけて駆け付けた、というよりも用事ついでに様子を見にやってきたブルーノが、泡を吹いて倒れている盗人を見て息を吐く。それから、これは一体誰なのか、そもそも何故倒れているのか、何をしたのかという問いかけを全てひとまとめに「カク」とそう一言呟くと、カクは左掌に載せたアネッタの割れた鱗の根本を爪先で撫でながら、「わしゃ正当防衛をしただけじゃ」と穏やかに笑った。