もう子供じゃないよ。
待ち合わせ先の正面玄関に向かいながら、昨夜のことを思い、考える。
何がもう子供じゃないだ。この国での成人基準すら満たしてもいない癖に。あのとき、無防備に頭を摺り寄せるアネッタをつい甘やかしてしまったが、キスの一つでもしてやればよかった。そうしたら、あの女は金色の瞳を瞬かせて、顔を赤くしながら困惑しながら言うはずだ。「え、あ、ど、どうして」そうなったら彼女は怒るだろうか。それとも、暫く口を聞いてくれなくなってしまうだろうか。それとも、自分のことを意識して、思い出すきっかけになってくれただろうか。
兎にも角にも、あの女はそれぐらい疎く、一言余計な女なのだ。
「……無知である事を嘆くとはのう……」
輪廻の果てに、彼女を見つけて十二年。記憶を持ち続けている自分とは異なり、彼女は相変わらず前世のことを思い出してはくれない。これが記憶の欠片もない、ガワを被っただけの別人であれば見切りをつけられたと思う。しかし、皮肉なことに名前を呼ぶ声も、声色も、仕草も彼女そのもの。ただ記憶が紐づいていないだけの彼女なのだからタチが悪い。
私だけが知らないなんて、嫌だよ。
同じ言葉が、頭の中を巡る。全く、皮肉な話だ。こちらは二千年もかけて彼女の転生を待ち続けたというのに、彼女は己のことを綺麗さっぱりと忘れている。これを皮肉と言わずして何と言おうか。
「……記憶を戻す方法なんて、そうはないしのう……」
しかし、彼女は自分で言ったのだ。知らないことが嫌であると。であれば彼女が元の記憶を取り戻せるよう、縁者として傍におり、必要のない存在は全て排除しなければ。カクは携帯を手に、「対象者在籍の企業特定」と物々しいタイトルで始めたメッセージを送信すると、入れ替わりに連続で送られてきたメッセージを見て、目を和らげた。
ごめんねと謝るちいさくてかわいい竜のスタンプに、いつも通り正面玄関で待っていてほしいと書かれたメッセージ。待たせている事に対して焦っているのか、それとも人の目を盗んで送ったのか、短い文章には誤字脱字が散見している。
まぁ、きょうは委員会の会議だと言っていたし、こればかりは仕方が無いか。カクはひとまず靴を履き替えて外で待っていようと足を進めて下駄箱へと向かうと、遠くからチャイムの音が響く。気付けば窓の外に見える景色は茜色に代わり、開いた窓からは部活に励む生徒たちの声と、それを盛り上げる吹奏楽部の演奏が弾んでいる。
それこそ人を待つには丁度良いBGMだが、それがまさか不穏さを演じるものになるとはだれも思わなかったはずだ。カクは下駄箱の前で足を止めると、双眼を細め、目先で同じように足を止めている男子生徒に向けて声を掛けた。
「ラブレターは受け付けておらんぞ」
その瞬間、びくりと揺れる体。上靴の色を見るに一年坊主だろうか。露骨に動揺を示す彼は手にした手紙を隠すがもう遅い。彼の方へとゆっくりと足を進め、ちょうど向かいにある下駄箱から靴を取り出し、すのこの外へと落としながら厭味ったらしく呟いた。
「全く、難儀なもんじゃのう……恋人がおるというのに手紙を送る奴がおるとは」
愛嬌があり、誰に対しても分け隔てのない、思いやりのあるアネッタが好意を抱かれるのはそう珍しい事ではない。しかし、いくら理解しようとも不快であることは間違いない。
「で、でも先輩は付き合ってないって、聞いて」
「なんじゃ、わしを疑っておるのか?」
「あ、いえ、あの……そんな、ことは」
「……わはは……別にアイツに聞いてもいいが、…そうじゃな、そうなったらお前は今度こそハッキリと断られることになるんじゃろうな。ごめんね、私彼氏いるんだ。いいお友達でいましょうと。……そうなった場合に、はたして今まで通りアイツが接してくれるかのう……」
ゆっくりと、陰りを見せ始める表情を目に畳みかける。その言葉はやけに丁寧で穏やかではあるが、男からすれば酷く不気味に思えてならない。滲む汗に、煩いほどに響く警鐘。心臓は不自然にばくばくと鳴り響き、今までにない感覚にまるで足元からずるずると巻き付きながら這い上が蛇のようだと、男は息を詰まらせた。
「……どうじゃ、今じゃったらアイツもしらんし、お前への態度も気まずさで変わることもないと思うが」
まるで頬を撫でるような、不自然すぎる穏やかな声。彼を見つめる瞳は笑みを携えているのに、光の無い黒目が全てを見透かしているようで恐ろしさから頷くと、またカクはにこりと笑って手を差し出した。
「…それじゃあ、その手紙はわしが貰っておこう」
「え?」
「もう、それは必要ないじゃろ」
手紙を知らぬところで出されても困る。
そして、それをネタに出して、アネッタが揶揄われても面倒だ。
震える手が差し出す手紙。カクはそれを受け取ると口元に向けて「良い選択じゃな」と零すが、震え、いまにも泣きだしそうな顔で立ち去る男の愚かと言ったら。カクはくつくつと堪えきれない笑いを落として外履きの靴に履き替えると、弾む声が袖を引き、カクはまた表情を和らげることになった。
「あ!またラブレター貰ってる!」
丁度良いタイミングで、会議を終えたらしいアネッタが玄関へとやってきた。息をきらして肩で息をするあたり全力で走ってきてくれたのだろう。彼女は足を止めると手を団扇替わりに扇ぐが、人を待たせておいてもう興味はラブレターに向かっている。カクは呆れたように息を吐き出した。
「おうおう、なんじゃ、人を待たせといてそれが先なのか?」
「あは、待っててくれてありがとう!あと待たせてごめん!……でも、ラブレター貰ってたら気になるでしょ」
だれからだれから?気になるのかズイと無遠慮に身を寄せて覗き込もうとするアネッタ。此処で、お前のものだと言うことも出来たが、わざわざ芽を摘んだ後にそのような事をする筈もない。カクはそれが彼女のものであるとは言わず「個人情報じゃから言えんのう」と適当に躱すと、彼女は唇を尖らせてブウブウと不満を零した。
「いいなー、カクばっかりラブレター貰っちゃってさ」
「そんなに欲しいのか?」
「だって私ラブレターなんて貰ったことないよー…」
そりゃあそうだ。とカク。
しかし、どうしてこうもラブレターを貰いたがるのか。二千年も彼女一筋で生きてきた彼には理解しがたいが、二十一時から恋愛ドラマが始まればTVを占領して眺め、施設に寄付された少女漫画を何度も何度も繰り返して読むような彼女のことだ。ラブレターを貰って付き合いたいというよりも、一つの経験として体験してみたいのかもしれない。カクはわざとらしく顎に手を向けて、ふうむと考える素振りを見せると「じゃあわしが書いてやろうか」と尋ねた。
「え~カクからの手紙は嬉しいけど、それじゃ意味ないじゃない」
「そうか?」
「そうだよー、だってラブレターだよ?ラブが入ってないと!」
ふふんと笑って、どや顔を見せるアネッタ。それでうまいことを言ったつもりかと思ったが、そういえば昔から妙なところで自信を持った女だった。誰もが知っていることでも彼女は自信満々に言っていたし、ジャブラが吹き込んだ嘘も真実だと思い込んで言っていた。そのたびに彼女は鼻で笑われていたが、どうやら今世も呆れることになりそうだ。
「……」
「……ちょっとぉ…聞いてる?」
「聞いとる、……全く、お前のような疎いやつには敵わんのう」
「なんのことか分からないけど、馬鹿にされてるっていうのは分かった」
「お、正解!今日は勘の良い奴じゃのう」
「キイ!」
彼女が疎いのは昔からだが、彼女と巡り合うために二千年も費やしたのだ。記憶はしっかりと取り戻してもらわないと。
そのために、一つ、また一つと記憶を取り戻すには不要な縁を切っていく。カクは手の内にある手紙を口元へと寄せてフフフと笑うと、アネッタは「なんか企んでる!」と指摘をしたが、一体何を企んでいるのかまでは分からなかったようだ。彼女は「くわばらくわばら」とか何とか言いながら靴を履き替えていたが、靴を履き替えて爪先でトントンと地面を叩くと帰ろうと笑みを向けた。
シリーズ