代理でやってきた屋敷の番

 わしが家を空ける間、屋敷の番を頼んだ。何かあればそいつを頼るんじゃぞ。
 門を出て大路を歩く烏天狗を見送り、屋敷へと踵を返した筈が、視界の端に砂埃が入り足を止める。遠くから、何かが物凄い勢いで近付いている。……もしかして、あれが頼んだと言う屋敷の番であろうか。であれば烏天狗の妻として、先ずは挨拶をすべきであろう。

 アネッタは着物の襟を正し、別れ際に撫でられて乱れた髪を整えると、背筋を伸ばしてその者を待つが、其処に現れたのは荷車を引いた火車と呼ばれる妖であった。火車と名を貰うだけあって、荷車にある車輪部分は炎を纏っており、先ほどの砂埃は荷車を引いて爆走した事による現象か。

「へえ、烏天狗様に書状です!」

 肉の無い筋張った手が差し出す書状。アネッタは、差し出された書状を受け取りながら尋ねた。

「ありがとう火車。…ねぇ、今日の屋敷の番は貴方なの?」
「?、一体何のことで?」
「……あぁ、ううん、何でもない。ええと、このお手紙は旦那様にだったよね」
「えぇ、えぇ、烏天狗様にお願いします。それじゃあ、あっしは此処で」

 宛先は、ええと。封筒を返すと華奢な字で窮鼠という二文字が記されている。…が、この窮鼠と言う漢字はなんて読むのだろう。困窮の窮に、鼠。きゅうねずみ?ああ、いや、この漢字は窮鼠猫を嚙むということわざにあった漢字だったように思う。であれば読み方はキュウソだと思うのだが、わざわざ糊封をした上に印証が押されている辺り重要度の高いものらしい。
 こんな時に携帯があればすぐに報せる事が出来るのに。アネッタは疾風の如く走り去る火車を見送りながら思い、今度こそ武家門を潜り屋敷まで続く石畳を歩くと、庭先にある松の木に留まったヨゲンノトリを見て足を止めた。

 はて、今日は一体何を言いに来たというのだろう。予言を伝えるにしては随分と訪問の多い妖。妖を束ねる烏天狗曰く、ヨゲンノトリに気に入られているのだと言うが、以前のように早とちりをするのも御免だし、勝手に早合点した癖に、使命を果たしているだけの彼らを悪く思いたくも無い。よって弾き出された答えは、速やかな帰宅で、少しの余地も無く早々に屋敷へ戻るとフウと息をつく。
 しかし、一人きりの屋敷というのはいつだって寂しいもので、遠くで聞こえる風鈴の音が袖を引く。アネッタは室内へと戻ると、軽やかな音が指す縁側で足を止めた。

 その先に、男の姿があったのだ。

「…?……一体誰だろう……」

 暖かな陽光が照らす縁側に、ひとり寝転がる男。その堂々たる姿は客人と言うよりも縁深い身内といった方が腑に落ちる気もするが、屋敷の主であるカクは天涯孤独の身である筈。であれば客人か、あるいは招かれざる客人と言う二択だが、いまは守ってくれる存在も居ないのだ。是が非でも前者であって欲しい。
 遠くから見ても分かる長躯の体系に、緩くウェーブがかった黒い髪。日向ぼっこのように光を浴びる男の顔立ちは思わず見惚れるほど端正に整っており、ほんの一瞬、切れ長の瞳が此方を向いた気もするが、なんにせよ彼が何なのかは早々に白黒つけるべきだろう。アネッタはそうと近付き口を開くと、それを遮るように一つの問いが投げかけられた。

「……あの鳥を避けているのは、何か訳があるのか」
「え?」
「あのヨゲンノトリだ。奴らは予言を聞かせるまで居座り続ける習性を持っている」

 視線の先には、松の木に留まったヨゲンノトリが一羽。
 なんてはた迷惑な妖なんだという気持ちと、だから彼らはいつも嬉々とした様子で伝えてくるのかという納得感。それよりも彼の事自体も疑問はあるが、先に尋ねたのは彼だ。アネッタは少しの間を置くと、寝転がる彼の方へと距離を縮めながら、烏が留まる松の木を見て呟いた。

「……以前、私が予言を聞いて早とちりしてしまったことがあって、それでなるべく話を聞かないようにしているんです」

 まぁ今や毎日のように遊びにきてますけど、とアネッタ。その言葉に、にわかに信じがたいとばかりに表情が歪んだが、うそ偽りは無い。事実、縁側に立った事で此方に気付いたヨゲンノトリは、縦に並んだ二つの頭を揺らしながら此方に近付いてきたし、彼らは何処か機嫌がよさそうにガアガアと翼を打ち鳴らす。

「会いに来る、会いに来る」
「お前をさがして会いに来る」
「会いに来る、会いに来る」
「お前のために会いに来る」

 心なしか、歌い、弾んでいるようにも聞こえる予言。状況を考えるに、彼の事を言っているようだ。これでは予言ではないじゃないかと思ったが、そうさせてしまったのは待たせた己のせいか。しかし、この予言を聞いた事で隣に座る男も多少なりとも腑に落ちたようだ。

「……ヨゲンノトリが懐くとは聞いたことのねェ話だな」
「今や今日の運勢みたいなノリになってますよ」

 笑い混じりに告げると、男の訝し気な表情は極まるばかりで、それを横目に縁側へと腰を下ろしたアネッタは「それよりも」と前置いて尋ねる。今度は此方の番だ。

「私はお兄さんのことが気になりますけどね、お兄さんがカクの言っていた屋敷の番をして下さる方ですか」

 その言葉に、細まる双眼。男は暫くの間を置いて呟く。

「………まぁ、そういうことになるだろうな」
「えぇ、煮え切らない反応だなぁ」
「じゃあ何だ、あの烏天狗に助けを求めるか」
「暫くは戻って来ないって知ってるくせに」
「さぁ、どうだかな」

 ふふ、と笑いを落とすアネッタとは対照的に鼻で笑う男。まぁ、ひとまずは招かれざる客人という訳ではないので一安心か。アネッタは暫く足をぷらぷらと揺らした後、男の容姿をまじまじと見つめ、考える。
 であれば、この男は一体なんの妖なのだろう。烏天狗のカクのように翼があるわけでもないし、牛頭鬼のブルーノや酒呑童子のジャブラのように鬼を示す角があるわけでもない。特徴的に思えるのはその端正な顔立ちで、いわゆる美男子と言われるような青年はとてもではないが、妖には思えず、どちらかというと少し前まで人間であった自分に近しい存在に思える。その時、遠くでヨゲンガラスが役目を終えたと飛び立って、視線を外に向けると庭先に普段は見かけない猫の姿が目に映る。それも数は一匹ではなく、二匹、三匹、五匹ほど。姿は普通の猫と何ら変わらないように見えるが、この屋敷で猫を見かけたことは初めてだ。猫は遠巻きに此方を見ており、彼らの視線の先を辿ったアネッタは男に尋ねた。

「……お兄さんって猫に関連する妖だったりします?」
「……随分と察しが良いな。そうだ、おれは猫鬼ミョウキのルッチ、化け猫の果てだ」
「猫鬼……、鬼って全員角があるわけじゃないんですねぇ。……あれ、でもあっちの猫ちゃんは角が生えてるのに、こっちの猫ちゃんには生えてない……」

 彼が名乗った瞬間、此方へと近付いてくる猫たち。それなりに彼の立場が高いのだろうか。しかし此方へと近付く猫のうち、殆どは額に角が生えているのに、足元に擦り寄る猫には角が生えていない。不思議に思っていると猫鬼―……ルッチが「そいつはすねこすりという別種だ」と説明したが、いまいち猫鬼とすねこすりの見分けがつかない。アネッタは脛に身を擦って、可愛らしくミャアと鳴く猫を見つめた後、そっと足元を触る。

「すねこすり……確かに脛を擦っていった……けど、呪われるとかじゃないですよね」
「そいつはただ脛を擦るだけだ」
「すっごい無害…。……でも、やっぱり私じゃすねこすりなのか、それとも猫鬼なのか見分けつかないや」
「……おれたち猫鬼にはいくつかの階層がある、そいつは別種だが猫鬼であれば最上位以外は角があるからお前でも分かりやすいだろうな」
「じゃあお兄さんは最上位ってことか…。……あ、でもそれだけ階層が分かれていて、最上位なのに猫鬼って名前なのは変わらないんですか?」
「……まぁ、それぞれの位でカツブシノミコトや、ネコテラスオオミカミという名前はあるが」
「アマテラスオオミカミの猫バージョン……あは、なんか可愛いかも」

 まぁ、しかし、ひとまず彼は烏天狗の言っていた代理の者で間違いないようだ。そこでようやく警戒を解き、息を吐く。それから彼を真似るように体を後ろに倒して寝転がってみると、暖かな日差しが全身にあたりなんだかぽかぽかと気持ちが良い。なるほど、彼が此処で日向ぼっこをするわけだ。
 アネッタは端正な顔立ちをまじまじと見つめ、尋ねた。

「ルッチさんは、元々化け猫…つまりかなり長生きをした猫だったんでしょう?」
「まぁ、そういうことになるな」

 ぶっきらぼうな言葉。なんとも猫らしいではないか。

「普通死んじゃったら幽霊になるんじゃないの?……私も死んで妖になったけど、死後は私みたいに妖になるんですか?」
「いや、妖になるのはごく一部だ」
「へぇ……」

 その言葉に、「何かあるのか」とルッチ。
 何か違和感を感じ取ったような、そんな声色であった。

「え?」
「……何故、カクではなくおれに聞いた。その程度の質問なら、あいつが答えただろう」
「あ、えっと、ううん。別に。…あ、じゃあ私が妖になったのはレアなんですね」
「……。……お前は元々アイツに魂を獲られているからな、レアもなにも普通じゃありえねえ」
「へぇ……でも私まだ妖って感じしないけどなぁ。あ、でも角はあるから鬼なのかな」
「さぁな、おれの知った事じゃねえ」

 言いながら、男がするすると姿を猫へと変える。瞬き一つの合間で変わった姿は小柄で、あの光沢のある毛艶をもった豹柄は、確かベンガル猫とか、そういった類の種類だろう。伸びをした猫は、牙の目立つ口を大きく開いて欠伸をするとその場にコロンと寝ころんだ。
 その姿は、とても妖に見えないが、それでも日向ぼっこする姿は可愛らしい。

「ねぇ、良かったら撫でてもいいですか?」
「……」
「えっと、ほら、ベンガル猫ってブラッシングとか沢山手入れ…?をするほどテラテラになるっていうし」
「……」
「……やっぱり駄目かな」

 返事はない。けれど、一度身を起こしてから膝の上にぽてんと体を倒したのは、そういうことなのかもしれない。アネッタはくすりと笑って彼の身体を優しく撫でる。柔らかくて、それでいて一本一本が細くさらさらとした感触。触れた体は暖かく、そういえば小さな頃にも、同じように近所にいた猫を触ったことがあったが、彼のように暖かかったことを思い出す。あの時は両親と一緒で、もう少し大きくなったら猫を飼ってもいいかもねなんて言っていたのに、ついぞその夢が叶うことはなかった。

「……」

 ぐるぐると、ごろごろと響く喉鳴り。手が止まっていたせいで、ルッチは薄く目を開いて此方を見ていたが、何かを察したのかもしれない。彼は特に何を言うわけでもなく息を吐き、撫でる手を受けるとまたぐるぐると喉を鳴らし続けていたが、いつしか彼は眠りに落ちてしまい、それどころか烏天狗が返った頃にはアネッタも横になって眠っていたが、彼女に甘い烏天狗はたたき起こすことは出来ない。

「……仕方のない奴じゃのう」

 ああ、今日が暖かい日で良かった。カクは自分の羽織を彼女にかけると傍にある書状を見て表情を歪めたが、なんとなくそろそろ来る頃合いだろうと予期していたものだ。書状に目を通すなか、呑気に目覚めて欠伸を零すルッチに「屋敷の番が寝てどうするんじゃ」とお小言を零した彼は、手にした書状を差し出した。