宮大工として依頼を受けたのは、田園風景の中にポツンと立つ小さな神社であった。
この神社が建てられたのはおよそ千四百年前。時代で言うと江戸時代初期で寛文五年だと聞く。この時代に建てられた神社建築は、釘を使わずに木組みと云われる伝統的手法で建てられている。
その中でも組継ぎと呼ばれる緻密な技術は今ではロストテクノロジーになりつつあると言われており、棟梁が足を運んだ先でも所有者から喜ばれていたのだが……まさかこの年になって子供の話し相手が出来るとは思いもしなかった。
「ねぇねぇ、アイスバーグさん達はあとどれぐらい居るの?」
「ンマー……まだ破風尻飾りの取り付けもあるから、あと一カ月程度は居るだろうな」
「一カ月かぁ……きっと、あっという間なんだろうなぁ」
彼女は自分のことを、座敷童だと名乗った。名前はアネッタ。年齢は十七歳。健康的な色味をした肌は鮮やかな朱の着物を纏っており、彼女は透けた足を揺らして本殿から問いかける。……初めて会った時にはかなり怯えていたように思うのだが、随分と懐いたものだ。
何かを惜しむような声色は寂しく響いて、アイスバーグが手を止めて木槌を離すと彼女の頭を撫でた。
「なに、どうせ経過を見に来るんだ。これが終わりってわけじゃねえさ」
初めは怯えていた瞳が、怯えもなく和らいでアイスバーグを見る。
もしも自分に子供がいたら、こんな感じなのだろうか。三十八歳と、十七歳。年齢差を考えれば十分あり得る年齢だと思うと、どうにも彼女の声掛けを無視する事が出来ない。ふんわりとした猫っ毛に置いた手を、右に滑らせて、左に滑らせて、もう一度右へと滑らせる。彼女はそれが心地良いようで、嫌がる素振りも見せずにはにかむ。
「それとも、おれと一緒に帰るか」
それを見て尋ねたのは、ほとんど思いつきだったと思う。アネッタは丸々とした瞳を瞬いたあと、少しばかり困ったような顔で首を振った。
「ふふ、一緒には帰らないって知ってるくせに」
彼女は決して頷かない。彼女には、烏天狗と呼ばれる妖の夫が居るのだ。ただ、それよりも別の理由もあるようで、鳥居の方から石階段を上がる音が聞こえると本殿の奥へと隠れてしまう。まぁそれも、上がってきた人物がパウリーだと分かると、酷く安堵した顔で近付いてくるのだが……彼女は何かに怯えているように思えてならない。
アイスバーグは「おれも休憩に行ってくる」とだけいって神社を離れると、少し歩いた先にある商店街に入り、息を吐く。商店街と名ばかりのシャッター街は昼間だというのに人通りが少なく、空いている店の前には暇そうな老人たちが椅子を出して座り、お喋りに鼻を咲かせている。この商売っ気の無さがシャッター街へと追い込んでいるようにも思えるが、今はそんなことを考えたいわけではない。昼食を買いに商店街奥にあるコンビニへと足を進めると、アイスバーグは個人商店の電機屋で足を止める事になった。
――あの十七歳虐待死亡事件から、十年が経ちました。逮捕された容疑者は、最高裁での裁判を待たずして獄中で病死となり、残された家族も交通事故死と不幸が続いております。今回はこの十七歳虐待死亡事件を振り返っていきます。
悲しみを帯びた声が、店の前に設置された薄型テレビから響く。画面に映った映像には見知った顔があり、そこでようやくすべての合点が言ったような気がして、映像から視線を外す代わりに、コンビニのイートインコーナーで携帯を開いた。
十七歳少女虐待死事件、関係者全員が不可解な死。十年前の二〇二四年八月、十七歳の女子高生が養父母の通報により搬送され、全身に残る痣や室内の乱れなどから、養父の虐待による死亡と断定された。養父は逮捕されるも、同年十月に獄中で病死。その後、養母や親族も次々と事故や病気で命を落とし、現在では事件関係者は一人も生存していない。
一連の出来事は「少女の呪い」と恐れられ、地域で語り継がれているが、真実は未だ闇の中だ。
……当時のニュースに掲載された顔写真を見るに、この女子高生は十中八九アネッタのことであろう。であれば、彼女が極端に外を怯えていたことも、それから口減らしで殺された霊が成るという座敷童であることも説明がつく。
「……アネッタのなかでは、まだ事件が終わってないのか」
此処で、いいやおれには関係のない事だと言う事は出来る。しかし、聞かないふりをするには、仲良くなりすぎてしまった。それこそ親子であったらと想像するまでの関係性だ。アイスバーグは店にある真新しいお菓子たちを買い込むと、膨らんだ袋を手に戻り、アネッタを驚かせた。
「わぁ……!お菓子だ!」
パチパチと星を爆ぜる瞳が煌めき、声を弾ませる。一応は備えたという定義を使えば彼女も普通に食べられるようで、アイスバーグはそれを微笑ましく見て「それは全て彼女のものだ」と告げると、彼女はそれを大事そうに抱えて頬を寄せた。
「…………こんなにお菓子を買ってもらったの、初めて」
「へぇ、じゃあ次はラーメンばっかりってのもいいんじゃねえか?」
パウリーが言うと、アネッタは噴き出して笑う
「あはっ、ラーメン祭りかぁ!面白そう!妖の国じゃお蕎麦しかないからなぁ」
「へー……逆に蕎麦はあるのか」
「うん!おつゆも麺も凄く美味しくてねぇ……パウリーやアイスバーグさんにも食べさせる事が出来たらいいのに」
「……なぁ、それを食べたらおれたちも妖の国に……ってことはないよな?」
「……え、どうだろ……」
「いや、怖えな!」
前々から思っていたことだが、パウリーとアネッタは随分と相性が良かった。
「でも美味しいよ?」
「美味いのが逆に怖いんだろ」
そうやって顔を見合わせて話す様子は仲睦まじく、それこそまるで年の離れた兄妹のように見える。そう考えると、ひとりで孤独に死んでしまった彼女があまりにも不憫に思えて、彼女を見つめる目は普段と異なっていたのかもしれない。此方を見たアネッタが困惑したように立ちあがり、手を握る。その手はひんやりと冷たく、指先がほんの僅かに透けていた。
「アイスバーグさん、どうしたの?体調悪い……?」
「……いいや、なんでもない」
「本当?」
「ああ、本当だ」
「アイスバーグさん、体調が悪いってんならこのあとはおれがやりますよ」
「ンマー、パウリー。ありがてぇが本当に大丈夫だ」
「ならいいんですが……あんまり無理せんでくださいよ。アイスバーグさんはうちの棟梁なんですから」
「……あぁ」
ニュースで見た、十七歳暴行事件。このことを彼女に話し、尋ねるべきだろうか。しかし、こうして見ている彼女は、なにも常時不安を抱えているようには見えない。むしろ心配そうに瞬く瞳を見ていると、口に出す事で嫌な記憶を呼び覚ましてしまうのではないかと言葉が詰まる。よってアイスバーグはこの場で話す事を選択せずに握られた手を握り返すに留めたのだが、きょうこの日はそれを許さなかった。
突然なだれ込むように中年の男が神社にやってきて、こちらに目もくれずに跪いたのだ。
「ああ、お願いします、お願いします……どうかうちの家系はお守りください……」
これにはパウリーも驚きを見せる。疲れ切った顔に、目の下にくっきりと浮かんだ黒い隈。乱れた髪は脂でべっとりとし、衣服も土埃で汚れている。肩を小刻みに震わせ、顔から滴り落ちる汗が地面に染みを作っている。
一方、アネッタの反応はさらに異様だった。顔面蒼白で震える男を見つめる彼女の表情には、明らかな恐怖が刻まれている。男を目にした途端、小さな悲鳴を漏らし、パウリーの手を振り払うようにして本殿の奥へと逃げ出した。
「オイ、アネッタ!」
パウリーが本殿に向かって声を張り上げると、男がぎょろりと顔を上げる。その目は血走り、藁をもすがるような勢いでパウリーに叫びかけた。
「アンタ、アネッタと言ったな、ここに、ここにやっぱりあの女がいるのか?!」
「あぁ?!一体何なんだよ!」
「なぁ、いるんだろう!やっぱり、此処に、……アネッタ!アネッタァ!!悪かった、おじさんが悪かったよ!お前の話を聞いてうちで引き取るべきだったんだ!」
本殿に向かって叫ぶ男。男の目は血走って、ギョロギョロとした目が揺らぐ。ガリガリと首を掻く爪も伸び切っておりその異常ともいえる光景に、パウリーも息を飲んで困惑していたが、これをこのままにするわけにはいかないだろう。
「関係者なのか」
静かに尋ねると、男はビクリと肩を震わせたあと視線を落とす。その沈黙は肯定ということだろう。事情の知らないパウリーはひとり怪訝な顔を向けていたが、男が懺悔を始めると言葉を失い、関係者から語られるそれに握りしめた拳を振るわせる。
「彼女が亡くなってから、良くないことばかりが起こるんだ」
「それに、夢の中でお前を見つけ出すと誰かが言っている」
「きっと私も、彼らのように」
「あの時、私を頼って家を出たいと言ったときに助けたらこんなことには」
「だから私はなんとしても許しを得なければ、私は、私は」
まるで独りよがりの懺悔。いや、最早許しを得たいだけの不幸自慢に等しいものかもしれない。
パウリーの握った手はブルブルと震え続け、本殿を見て落とす言葉は怒りと悲しさが複雑に入り混じっている。
「じゃあ、アイツは……」
「ンマー……なんにせよ、死人が此処に居る事はない」
「でも、さっきはアネッタって」
「建築用語にアネモという言葉がある。……そちらの聞き間違いだろう」
いつにない素っ気ない言葉に、パウリーがアイスバーグを見て、男を見る。男も、先ほどの言葉が聞き間違いだとして、であれば何故すぐに関係者と言葉が出たのか聞きたがっていたが、アイスバーグの目がそれ以上踏み込むなと語っている。そうして男がこの神社を去った後、この湿った空気を洗い流すように風が吹き、さわさわと揺れる葉擦れの音を耳にしたアイスバーグは靴を脱ぎ本殿へと入り、隅で怯えているアネッタに声をかけた。
「アネッタ」
カタカタと震えるアネッタの視線が此方を見ない。体育座りで頭を抱えたままで彼女の心の機微に合わせて辺り一帯が揺らぎ、木々が軋んで音を立てる。……考えれば考えるほど、不憫に思えてならない。
膝を折り、ビクリと肩を震わせる彼女の背中を摩ると恐る恐るといった様子で顔を上げたアネッタが、濡れた瞳で見つめた。
「……アイ、スバーグ、さん」
「……ンマー、もう大丈夫だ」
「でも、あの人たちが、あの人たちがまた私を」
瞳から流れる涙は体温を感じない。けれど、泣いていることは間違いないのだ。その涙をいまこの手が掬う事は出来なくても、それでも彼女の頬を撫でることも、抱きしめる事だって出来る。アイスバーグはそっと彼女の頭を胸へと抱いて、出来る限りの優しい声で、静かに言った。
「……アネッタ、それはもう十年前の出来事だ。彼らはもうこの世にはいない」
「え……?」
「……お前がこの世を去って、十年が経ったんだ」
「そんな……嘘……」
「さっきのお菓子も見たことがないものばかりだっただろう。ンマー、あれはどれも最近発売されたものばかりだ」
「……、……本当に、もういない?」
「……ああ、養父母も、その兄弟も亡くなったよ」
まぁ、さっきのアレは恐らくまた別の親戚だろう。であれば彼女の脅威ではないはず。アイスバーグは静かにそう考えて先の彼を告げずに、脅威は全て去った事を伝えると、彼女はまた大きな粒を落として震えながら言った。
「…………じゃあ、もう怯えなくてもいいの……?」
「勿論、お前はもう自由だ」
考えた通り、彼女のなかでは完全に事件が終わったわけではなかったのだろう。それにより苦しんでいるのであれば。物語が終わりを書いていないのであれば、きちんと終わりを打たなければならない。
それにより、彼女と別れる事になっても。
アイスバーグが告げると、彼女の着物は晴れやかな空色へと変わっていった。その瞬間、そういえば座敷童が赤い着物を着るのは、不幸を呼び寄せる象徴だと聞いたことがあったと今更ながら思い出した。ならば、彼女はようやく呪縛から解き放たれたのだろう。
彼女の頬に手を添えると、緩んだ頬が優しく笑みを浮かべた。
「アイスバーグさん、ありがとう」
「……あぁ」
「……パウリーも、ありがとう」
彼女は静かに言い、向けられた日に焼けた手をそっと受け止める。そしてもう一度、心から嬉しそうに微笑んだ彼女はいつしか姿を消して、残ったお菓子入りの袋だけが寂しく残った。