舞踏会に潜入する事になったのは、三日前の事。急な要請にドレスを仕立てる間もなく、ただ要望を聞かれるだけであったが、それにしては良いドレスを見繕ってくれた。角にリンクした青と、瞳に合わせた金糸の刺繍。細かな刺繍は、灯りを受けて星屑の様に煌めいており動くたびに肌に触れる生地は滑らかで柔らかい。
そのほか開いた胸元を覆う薄いレースも、足元を彩る靴も、全てスパンダムが手配した一級品だ。これには、普段から小ばかにしてばかりのジャブラたちの反応も良く、気分が良い。
足の裏が数センチ浮いているような、フワフワとした感覚。こういうのを浮き足立つというのだろうか。早くこの姿をカクに見せてやりたい。それから感想を聞いて、誉めてもらって、それから、それから──。
しかし、思いに反して、拠点を発つ時間になってもカクの姿が見えなかった。
普段はちゃちゃっと着替えて「女は準備に時間がかかって敵わんのう」とか嫌味を言うくせにどうしたのだろう。まさか、ほかに仕事が入ったとか? それとも、この任務から外された?
「アネッタ、先に乗車しとけ」
「あ、はい」
指示を受けて座席に座るも、隣の席が空いていて落ち着かない。外を見ても気晴らしにすらならず。立ち上がり、いまだ出発していないことを良いことに後方にあるデッキに出た私はゆっくりと息を吐き出して──
「緊張しとるんか」
その声に、息が詰まるほど驚いた。
「え?!」
振り返り、視線がゆっくりとその顔を捉えていく。
──幼馴染のカクだった。でも、髪型がいつもと違う。
「えー!! どうしたのその髪っ! 短くなってる!」
いつもはフワフワの髪を適当に結んでいるだけなのに、今日はフワフワがなくなって、さっぱりと髪を刈っている。襟足なんて触るとちょりちょりで、とにかく髪全体が短い。
「わあ、すごいすごい。思い切ったねぇ!」
海列車が動き出しても、興味は彼にある。狭いデッキのなか、ウロウロと彼の周りを歩いてすべての角度を眺める。それから刈られた襟足をちょりちょりと触りながら「みじかーい」というと、彼は鬱陶し気に手を払った。
「まぁ、今日は舞踏会じゃからな」
「? この間の潜入捜査も舞踏会だったんでしょ?」
「え゛。……ああ、いや、そう……じゃが」
露骨に言葉が濁る。
よく分からない。どうして今日の舞踏会は髪を短くしたんだろう。彼の前に立って、少しだけ視線を逸らしたカクを見る。海を滑るように走る海列車の揺れはなだらかで、今日はとくに波が静かだ。だからこそ、その質問が途切れる事も邪魔をされる事もなく、カクは気恥ずかしそうに頭を掻いた。
「お前は、“今日が初めての舞踏会”じゃろ」
「え? 私の為に切ったってこと?」
「……おお、なんじゃ、悪いか」
気恥ずかしそうな言葉が少しだけ不機嫌に傾く。唇は子供のように尖り、眉間には皺が寄っている。──しかし、私と彼は幼馴染で、それが照れ隠しである事を知っている。
途端にお腹の奥がコチョコチョと擽られたようにこそばゆくなり、頬が緩んでしまう。私はカクの手を取ると、その勢いのまま声を弾ませた。
「ううん! とっても嬉しいし、恰好いい!」
「……そうか?」
「うん! 短いの初めて見たけど恰好いいねぇ、すごく似合ってるよ」
へらへらと笑って言う。だって凄く似合ってる。それに襟足のちょりちょりも触り心地が良くて好きだし──何より燕尾服姿が恰好いい。長い睫毛が上を向き、スラリとした体形に映える燕尾服の裾が、潮風に流されて僅かに靡く。
(うーん……これはご令嬢たちが黙ってないんだろうな)
なんというか、めちゃめちゃモテそう。
それはきっと男性としても、諜報員としても喜ばしい事なのだと思う。潜入捜査をするのであれば、ハニートラップにも繋がる有利な要素だし、人から好かれて嫌だと思う人はいない。だから、それも全てひっくるめて恰好いいと言いたいのに。喉の奥が先の言葉を塞ぐように細くなり、お腹の中がグルグルと重くなった。
「……、……んん」
「うん?」
不思議そうに、カクが瞬く。
私は変に焦り始める感覚に、胸を抑えながら言った。
「……女の子がいっぱいきちゃうかも」
沈黙。
カクは数秒の間を開けて、普段通りの声で言う。
「……、……そうなったら色々と話が聞きやすいかもしれんのう」
「……す、すきになっちゃうかも……」
「わはは、そうかもしれんのう」
それは、いやだ。
言葉を出せない代わりに、彼の指に小指を絡めて、クイと引く。……なんだか彼の顔を見ることが出来ない。それでも、いまこのまま彼を“手放す”ようなことも出来ず、せっかく綺麗に整えてもらった頭を、彼の胸に押し付けた。
「カクは、女の子を好きになっちゃだめだよ」
日に焼けた手が、飾りのない髪の毛先を撫で、僅かな笑いが耳を掠める。
続く言葉は、喜びが滲んでいた。
「馬鹿じゃのう、お前のエスコートで手一杯じゃ」