プロポーズは幸せに一を引く

 海を見下ろす断崖に建つ街の、急な坂道を進んだ先にあるカフェに入った私たちは、せっかくだからと隣接するテラス席に掛ける。テラス席から覗く海は美しく、海の方から吹いた潮風は木の葉の背を押して、昇る太陽を追いかけるように舞い上がる。


「はー……坂道きつかったねぇ」

 言いながら、僅かに汗ばんだグラスを手にストローでぐるりと中をかき混ぜる。ゼリー状で底に向けて青くグラデーションがかかっていくこのご当地ジュースは、一体何味なのだろう。物珍しさから頼んだものの、味が全く想像出来ない。

「いつものカフェオレにせんとは意外じゃのう」
 私のご当地ジュースを見て、また妙なものを…と珍獣でも見るような目でカクが呟く。
「いやー、ご当地と聞いたら試したくなって…」
「……前にそれで失敗しとらんかったか?」
「ウッ……っで、でもほら……今回はこんなに綺麗だし…大丈夫でしょ」

 まぁ確かに、前回寂れた村で食べたご当地グルメはとんでもなかった。固いわ、辛いわ、苦いわ。村を復興させる気なんかないだろうって味で、そりゃあ酷いものだった。だが、これはどうだろうか。透き通った青のご当地ジュースは海を閉じ込めたように美しいし、鼻先を近付けても変な匂いはしない。だから大丈夫だと思う。多分。
 そんなわけで、グラスに刺さったストローを咥えた私は勢いよく吸い込む。ただ、次の瞬間口いっぱいに広がったのは予想外の酸っぱさと苦味で、私の肩はびくりと大きく跳ね、ついでに「んお゛…ぉ゛………ッ…」と汚い声が漏れた。


「あーあ、ハズレじゃな」
「……っ、……っっん゛ん…カク…どうぞ………」
「なんで不味いと分かっているものを飲ませようとするんじゃ……。」

 カクの呆れたような視線がちくちくと刺さる。だが、彼は優しいというか、私に甘いというか。先のとおり不味いと理解しているのに差し出したストローを咥えると、ズココ!と音を立てながら半分以上飲んでくれた。まぁ、彼もまた突然びくんと体を大きく跳ねさせたかと思うと、私と同じように顔をしわくちゃにしていたが。


「お゛……ッ……っアネッタ、おま……後で何か奢ってもらわんと割りに合わんぞ、これは……」
「あ…あは……ですよね……」

 とはいえ、残ったそれを捨てるわけにもいかないだろう。

 ひとまずカクが半分以上は飲んでくれたので、あとは自分でぢうぢうと。ひとりバナナオレを飲んで口直しをするカクがねたましく、幾らか八つ当たり気味に睨みながら最後まで飲み切ると、カクが「おぉ、全部飲んだか」と笑いながら口元にバナナオレの入ったグラスを向ける。こちら側に倒れてくるストローを見て、ご好意に甘えてストローを咥えてぢうううと音を立てながら飲ませてもらうと、瞬く間にまろやかなバナナミルクが、口の中に残っていた酸っぱさや苦味を流し、濃厚な甘さだけ残していくものだから思わず目元が緩んだ。

「んああ…美味しい………バナナオレ派になりそう…」
「そうじゃろう、そうじゃろう。やっぱりバナナオレが一番じゃ!」

 そうして得意げに笑うカクが、残ったバナナミルクを飲み干した頃。背後の方から「おめでとうー!!!」と誰かを祝福するような声が響いたかと思うと、色とりどりの風船が空を彩るように上がり、私たちは思わず目を瞬かせた。
 遠くの方で、「あ、風船だ!」という子供の弾んだ声が聞こえる。それにつられるように立ちあがって、テラス席の区画を区切るような白い塀まで向かうと、目抜き通りを少し下った先にある建物で友人や家族に囲まれて、幸せそうに笑む新郎新婦の姿を見つけた。


 さっきの祝福は新郎新婦を囲う友人や家族たちの声なのだろう。塀の上に手を置いて、彼らを見る。会話なんて聞こえやしないけど、見ているだけで心が温まるような風景に、隣にやって来たカクに向けて「いい式だねぇ。」と零すと、カクは短く「そうじゃのう」と呟いた。


 結婚式を見る私たちの間に会話なんてものはなかった。それでも、不思議なことにつまらないなんて感情が湧くことはなく、会話がなくとも、彼が隣にいれば私は幸せで、居心地が良かったのだ。


 だから、私は驚いた。それを打ち破るように、「………わしらも、結婚するか?」と彼が囁いたから。


「え?」

 彼の言葉は、あまりにも突然だった。だから、彼も珍しい冗談を言うものだと視線を向けると、彼は存外真面目な顔で此方を見つめていたので、思わず目を瞬かせてしまった。茶化すにも帽子から覗く彼の耳は赤く、その瞬間、なにもかも悟った。
 カクは本気で、私にプロポーズをしてくれているのだと。


「あー…え、っと……らしくないね。」
「え?」
「カクがそんな冗談言うなんて。」

 だからこそ、私は言葉を詰まらせてしまった。
 聡明な彼が、何故こんなことを言うのか理解出来なかったのだ。

 私は少しばかり言葉を詰まらせた後、眉尻を下げて、いかにも困ってますって顔で笑うと、カクは眉間に深く皺を刻みながら「冗談なわけ」と口を開いたが、私はそれを拒み、彼の言葉を遮るように声をあげた。


「っお願いだから!!……お願いだから、……そんな出来もしないこと言わないでよ……。」

 幸せな結婚式を見て、私は確かに幸せな気持ちになった。しかしそれはただの感想なだけであって、憧れだとか、そういう類からの感情ではない。
 なんせ私はこの世界に一人しかいない竜人族だ。その貴重さから竜人族を途絶えさせてはいけないと世界政府に保護された女が、一人で生きることも許されない女が、鱗や爪、脱皮したあとの抜け殻さえ貴重だなんだと言って提出を義務付けされている女が、好きな人と結婚することを許されるわけがないじゃないか。

「……なん、じゃそれ……。……っわしは!…わしはお前のことで冗談なんか言わんわい!!!」
「…ッ出来もしないことで期待させないでって言ってるの!!…っ結婚なんて、…っ結婚なんて出来るわけがないじゃない……そんなの……ッ…そんなの世界政府が許すわけない……。………カクは知らないだろうけど、私は毎年、……、……毎年メディカルチェックを受ける時に子供が産めるのか、人間や他種族と竜人族が子供を産んだ際にどうなるのかまで調べられるんだよ。」


 世界政府は確実に私の子供を望んでいる。しかも毎年研究を重ねるあたり、下手な子孫はいらないと相性診断までしていてもおかしくはない話だ。自虐めいた言葉を受けた聡明な彼は一から十まで言わずとも全てを理解したらしい。しばらく絶句したように言葉を失っていたが、暫くの間を置くと「なんで…何故、言わなかったんじゃ…」と力なく言葉を落とした。

「………好きな人に言えると思う?わたしね、毎年子供が産めるか確認されていて、多分好きでもない男と交配させられるんだー…って?」

 言えるわけがない。
 だって、そんなことを言ったら、彼は私のことを、きっと。


 目頭が熱くなり、目の前の世界が歪む。途端に苦しくなって、私は呼吸を整えるよう小さく息を吐き出すと、真っ直ぐに彼を見つめた。

「……ごめん、先に宿に戻るね」

 彼は、今までにないほどに怒っていた。

 私の声も、変に上擦っていたかもしれない。

 けれど、これ以上話をしても私は彼のプロポーズを受け入れることは出来ない。どうにもできないのだ。そうして一方的に話を切り上げた私は、引き留める手を避けてカフェを出ると一人目抜き通りへと飛び出した。

 道中、テラスで見た結婚式会場の前を通ったが、あれだけ幸せそうだと感じていたそれが、今は酷く妬ましく思えてしまう。ああ、やだな。幸せな人を前にこんなことを思う自分が。八つ当たり気味に足元に落ちた石を軽く蹴飛ばしたけれど、それも虚しく転がってゆくだけ。びゅうっと海から吹き抜けていく風が頬を撫で、涙を攫っていくけれど、そんな気の利いた事をするならば背中を押してくれたっていいのに。


 向かい風に、ひとり抗う私は頑張って宿の方向へと進んだけれど、戻った頃には気合を入れて整えた髪もぼさぼさで、「あーあ、嫌な日」と零した言葉は、濡れた床へと溶け落ちた。