とにかく今日はツイていない。寝坊するし、電車は遅延するし。会社でも、私が苦労して取った案件をやる気のない先輩から潰された。そりゃあ寝坊に関しては私が悪いけれど、その後もやる事なす事悪いことばかりで、気付けばデパ地下でヤケ買いしたお惣菜と、それなりに良い値段のワインを入れた紙袋を持っていた。
此処はむらさきや小春といった、小さな小料理屋が並ぶ職安街エリアの朝焼け通り。この通りでは、店前に立つ女たちが前を歩く男たちに声を掛けて、それなりに賑わっている様子であった。
「………なーんで、此処に来ちゃったんだろ」
ぽつりと、独り言ちる。
なんでも何も、春日一番に会いに来たんだろう。だって此処はあの春日一番の住処がある通りだ。頭の中で冷静な自分が言う。しかし、しかしだ。だからといって特に恋人でもない、ましてや約束してもいない彼に会って愚痴を聞いてくれと言うのは自分勝手に思えて気が引ける。判断に迷う自分に合わせてゆらゆらと揺れる紙袋。ただ、どうにもこうにも帰る選択肢も選べずに立ち尽くしていると、「××ちゃん?」と言う声が袖を引き、私は振り返ることになった。
「一番……」
そこには、春日一番が立っていた。彼はどこか驚いたような顔をしており、「××ちゃんが此処にいるなんて珍しいな、…はは、思わず声をかけちまった」と笑い混じりに零したが、その言葉の人たらしっぷりといったら。
そういえば、趙天祐も似たような事を言っていたっけ。
私はくすりと笑ったあと「たまたま通りかかって」と嘘を述べると、手元で揺れる紙袋に手を引かれ、思い出したように紙袋を差し出した。
「あ、と、そうだ。これあげるよ」
「これは?」
「デパ地下で買ったお惣菜と、お酒。夜ごはんにでもしちゃって」
「夜ごはんに…って××ちゃんは?」
「え?」
「××ちゃんは食べたのか?」
不思議そうに瞬く瞳。彼の問いにはどこか心配が入り交じっており、真っ直ぐに向けられた視線に耐え切れずに視線を逸らしながら首を振るうと、一番は眉間に皺を寄せながら言った。
「なんだよ、じゃあこれは受け取れねぇな。××ちゃんが食べねえと」
「え、いや、でも」
「……おれはよ、こういった飯も正直ありがてぇけど、××ちゃんがそれで腹を空かせたり元気がでねぇってんなら、それはちょっと困るんだよ。××ちゃんは笑ってた方がいいっつうかさ」
春日一番は、やっぱり人たらしであった。だってそうだろう。今の言葉だって正直歯が浮くような台詞だ。それでも嫌味も、いやらしさも感じないのはその言葉に少しの嘘も無いからなのだろう。「というか、××ちゃん細いんだからこれ以上食べなかったら倒れちまうよ」「いや、折れるが正しいか…?」なんて続けて一人でワアワア言っている姿はなんだか面白くって、「……人たらしよね、一番って」と笑うと、彼は本当によく分かっていない様子で首を傾げた。
「あぁ?そうかぁ?」
「そうよ。……、…本当は、…本当はね。今日すっごく嫌なことが続いて、それで気付いたらこんなに買い込んで、此処にいたの。……何故かわからないけど、でもこうやって一番は全部聞いてくれるから、それで聞いてほしいなって思ったのかも」
「××ちゃん……、……よぉし!それじゃあ今日は××ちゃんを労わる会だな!」
「え?」
「汚いところだけど、おれの部屋にきてくれよ。それでよ、こいつを肴に色々聞かせてくれ、××ちゃんの話。……自分で言うのもなんだけど、結構聞き上手なんだぜ」
「……いいの?」
「おう!他でもねぇ、××ちゃんの頼みだからな!あ、いや、違えな、おれが聞きてぇんだ」
そう言って、一番は笑う。それがあんまりにも屈託のない笑みだったから、私はまたつられて笑いながら「じゃあ、お邪魔しちゃおうかな」と袖を引くと、一番は驚いたような顔をしたあと、少しだけ照れくさそうに笑って歩き出した。