ただいま戻りましたー。
戻り時間を大幅に過ぎても戻らぬアネッタに、行方知れずだと騒ぎ始めた頃。此方の心配も露知らずといった様子でバックヤードへと姿を現した彼女に視線が集まった瞬間、全員の顔が強張り、言葉を失った。乱れた衣類に、泥でもぶつけられた様な汚れ。作業衣の隙間から覗く肌には、真新しい傷が幾つも刻まれており、その顔には明らかに殴られたような痕が残っていた。
明らかな異常事態。しかし、彼女は呑気に椅子へと座り「はぁ、疲れた」と息を吐く。それから彼女は呑気なもので、手にした鞄から書類の入った封筒を取り出すが、辺り一帯がやけに静かであることに気付いたのだろう。顔を上げて不思議そうに首を傾げたあと、スイと顎を掬うアイスバーグに瞬いた。
「あ、アイスバーグさん…?」
「……ンマー酷いもんだな、一体誰にやられた」
「え、あ、えっと」
押し黙るアネッタ。瞳が僅かに揺らぐあたり恐らくは客なのだろう。アイスバーグが「カリファ」と背後に立つカリファに声を掛けると質問を向ける前に「ジノペスタ海賊団かと」と言葉が返る。しかし、いつもの彼女を褒めたたえる言葉が無い。ただ彼の視線はアネッタの顔に向いており切れた口端や痣、痛々しい傷をなぞり、沈黙が続くとアネッタが耐え切れないといった様子で言い訳じみた事を連ね始めた。
「査定に行ったら部屋の中に足枷をされた女性たちがいて」
「そしたら私も突然殴られて、そのとき彼女たちが誘拐されたって気付いて逃がしたんです」
「でも、それが気に食わなかったようで」
「あっ、でも、お客さんだから、ガレーラカンパニーに頼むって言ったから私は殴ったりやり返したりはしてなくて」
「ほら!ちゃんと査定だって出来たんです」
仕事はちゃんとしたし、それにお客さんに手を出すような事はしていない。齢十七の女はそのような事を必死に連ねるが的外れにも程がある話だ。彼女が封筒から出す書類だって皺になり、必死にそれを伸ばしたような痕がある。彼女が語らずとも彼女の身体や持ち物が口にしていない深刻な状況を語り、アイスバーグは「いいか、アネッタ」そう前置いて、静かに、けれども威厳を持って言った。
「確かにこの仕事は客ありきの客商売だ。けどな、おれたち船大工は、決して海賊や山賊……あらゆる組織に屈しちゃいけねえ」
「……で、でもそうしたら、仕事が」
「……暴力やくだらねぇ権利に屈して作りはじめたら、おれたち船大工の名折れだ。おれたちは対等に立てるだけの技術があり、立場がある。……何かに押し付けられて作るものなんて、それこそ奴隷じゃねえか」
「あ……」
「いいか、お前もこのガレーラカンパニーで働くのならよく覚えておけ。此処ではおれたち船大工に手を出した瞬間、その契約はおれたちの意志で破棄出来るとな」
ンマーすまねぇが、手が空いている奴はいるか。そう言って、いつしか彼女を囲むように立っていた職人たちを見渡したアイスバーグは「暇人ばかりか」と息を漏らして笑う。彼ら職人たちの顔には明確な怒りがあり、それに気付いたアネッタは酷く困惑をしていたが、女である前に大事な仲間に手を出したのだ。そう簡単に怒りは静まらない。そうして、アイスバーグはパウリー、ルッチ、カクを連れて外へ。残された職人たちはそれを見守る事しか出来ないのかと険しい表情のまま、海賊へ毒を吐いたが彼女を心配し、気遣う事は出来る。
多くの心配を受けて手当を行われるなか、雷が落ちたのではと思うほどの轟音と揺れが続く。それを受けて船大工の彼らは笑いを見せて「いやぁ、胸がスカッとする音だ」と言うが、つまり、あの音は。
暫くして、戻ってきたアイスバーグはなんとも涼しい顔をしていた。乱れの無い服装は薄汚れて帰ってきた男たちよりも悪目立ちしており、彼はテーブルにある書類入りの封筒を手にすると、隣の席に腰を落ち着けた。
「査定をしっかりとやってもらった手前悪いが、話はつけてきた。……おれとしては…いいや、おれたちとしちゃお前に手を出したんだ。船を治す義理は無え」
「……」
「……だが、それはあくまでもおれたちの考えだ。お前はどうしたい」
「え?」
「あそこを担当したのはアネッタ、お前だろう」
アネッタへと、真っ直ぐに向けられた眼差し。その瞳は同情で向けられたものではなく、真摯に寄り添い、いち従業員として意見を求めていると分かる。しかし、何が最善か分からない。彼ら海賊たちの船は中型船で、今回の依頼内容はメンテナンスと補修と聞いている。査定金額は億越えではないものの、今回の依頼を機にリピート客になる可能性は高い。そのことを考えると彼らの依頼を断るのは損に思えるが、査定中に見た痩せ細った女性たちに手を出す男たちや、担当船大工が女と分かるや否や早々に手を出してきた理性の無さは危険因子すぎる。
アネッタは言葉なく最善の選択を探し、思考を巡らせる。しかし、感情論を抜いた先の答えが出ずに言葉を詰まらせると、アイスバーグはもう一度言葉を変えて尋ねた。
「ンマー、そうだな。…簡単な話だ」
「簡単な話…ですか?」
「……アイツらの船を作ってやりてぇか、そうじゃないか」
その言葉に「作ってやりたくないです!絶対に!」と前のめりになって話すアネッタ。アイスバーグはそれに息を吐き出すように笑って「それじゃあこれは契約破棄で決定だ」そう言って封筒を目の前で裂くと、そりゃそうだと、誰があんな奴らの船を見てやるかとほかの職人たちは喜ぶが、……はたして本当にそれでよかったのだろうか。感情論で、それも一端の船大工の考えひとつで決めてしまってもよかったのだろうか。
がやがやと喜ぶ職人たちと、手当を続けようと救急箱から包帯を手にするカク。秘書のカリファは冷静に契約破棄による損害を埋める為の具体案をアイスバーグやパウリーたちに話している。そこで漠然とした不安感を抱いているのは彼女だけ。アネッタは破かれた封筒を前にチラリと彼らを見ると、彼らはアイスバーグと同じように仕方ないなという顔で笑うとめいめいに頭をぐしゃぐしゃと乱暴に撫で「大丈夫だ、心配すんな」と声を揃えた。