そういえば、昨日はわしの誕生日じゃったな
妖にも誕生日という概念があるらしい。それが人間だった頃から引き継いだものか、それとも妖として生まれた日なのかは分からない。けれど、それは種族や生まれに限らず等しくめでたく縁起の良い事である筈で、梅雨明けの夏、朝食の最中に言われた言葉に箸で持ち上げた卵焼きを落とした。
「お、いただき」
数秒と経たず、箸に拾われていく卵焼き。少しの塩を入れて、焦げ目無く均一の火加減で焼いた卵焼きは我ながら自信有りの一品で、口に運んだあとの彼は機嫌よく咀嚼を繰り替えす。ただ、この強奪行為に文句が一つも出なかったのは、間違いなく驚きが勝ったからなのだが、何も翌日に言わなくたって。アネッタは卵焼きを頬張る様を見て箸を置くと、「怒ったんか?」と尋ね、自分の皿から同じ色合いの沢庵を移すカクを見て、呟いた。
「今日、一緒に町へ行こう」
「うん?」
「だって、きのうはお誕生日だったんでしょ?お誕生日は祝わないと」
「はぁ」
反して渋い反応。特段嫌そうには見えないが、彼にしては反応が渋い。アネッタは箸を置いたまま反応を窺うと、彼は眉尻を下げて申し訳なさそうに呟いた。
「うん?あぁ、いや、……嫌という訳ではないが、此方では誕生日を祝う習慣が無くてのう」
「え?そうなの?」
「あぁ、基本的には数え年で年齢を考えるのが普通じゃからな」
「……?」
「あー……生まれた日に年を取るのではなく、一月一日がくるとみんなで一斉に年をとるという考え方なんじゃ」
「ええ、そうだったんだ!あれ、じゃあもしかして誕生日を祝うって最近生まれた習慣だったのかな……」
「そうかもしれんのう」
確かに思い返してみれば、二日前に過ぎた私の誕生日も、彼は特におめでとうとか言ってくれなかったもんな。箸を手に、顆粒出汁が無いからと削るところから始めた鰹出汁の味噌汁を啜る。顆粒出汁を使っていないそれは、飲みなれたお味噌汁よりも風味が強く、それでいて少し上品な気がする。多分、こういうお味噌汁に使うようなお花の形をしたお麩とか、そういうのも最近生まれたものだったりするんだろうな。
現世と江戸時代の慣習や風景に近しい妖の国。現世と妖の国では色々と違うところがありすぎて、こうやって驚く事は多いが、誕生日が特別ではないというのはなんだか寂しい気もする。そんなことを考えていると、急に押し黙った事が気になったのか、カクは尋ねた。
「現世では生まれた日がそんなに特別なのか?」
「うん、こっちと違って年を取るのは誕生日だし、一年に一回しかないことだからって結構特別視をする人が殆どじゃないかなぁ。生まれてきてくれてありがとー、おめでとーってパーティ……ええと、お祝いの会を開くことも多いしね」
「ほう、そりゃあ賑やかでええのう」
「でしょ?だからカクにも何か特別なことをしたかったんだけどな」
例えば食事だけでも豪華なものにするとか、誕生日プレゼントをあげるとか。ジャブラやブルーノ、カリファといった友人たちを呼んでお誕生日会を開くとか。ああ、カリファが営む湯屋に行くのも良いかもしれない。思いつく事は想像以上に数が少なかったけれど、それでもきっと何かしてあげられることはあるはずだ。
アネッタは現世での慣習を捨てきれず、残る朝食を掻き込むようにして平らげて水を流し込むと、皿と箸をまとめて立ちあがった。
「ごちそうさま!」
「うん?なんじゃ、どうした」
「やっぱり、お祝いしたいから妖町に行ってくる!すぐ戻るね」
豪華な食事にするか、それともプレゼントにするかは決まってないけれど、妖町は商人の町だ。妖町を練り歩けば、そのうち良いものと巡り合える筈。彼女はその心算で流しにある桶に皿を移すと、突然目の前がふっと薄暗くなり、アネッタは振り返ると共に肩を揺らした。
「行かせんぞ」
音も気配もなく無く、背後にカクが立っていたのだ。漆黒の翼が伸び、まるで腰を抱くように背を包む。それにより彼女の身体は烏天狗の身体に覆われてしまい、伸びる腕が今度こそ彼女の腰を抱き、己の方へと引き寄せるが、その表情は暗い。
「……妖の町へ行っても良いと、誰が許可をした」
「え、あ、…え、っと」
「行ってはいかん」
普段よりも静かで、どこか手厳しいと感じる言葉。一体どこで彼の機嫌を損ねたのだろう。思い当たる節もないし、普段であれば一緒に行こうと言ってくれるではないか。しかし、今の彼はどうだ。瞳は光を遮っているせいか底なしの黒い穴のようで、不気味に思えるほど感情が読み取れない。無意識に強張る身体。たまらず後ずさるも先のとおり腰を抱かれており、添えられた手には力が籠っている。
「なぜ逃げる」
囁きは肌を撫でるようで、震える声は言い訳がましく言葉を紡いだ。
「ちが、ちがう、の、別に、逃げるわけじゃ」
「じゃあなぜ妖の町へ行こうと」
「だから、その、お祝いのために、プレゼントを」
「………そんなものは必要無い」
その言葉に、僅かに眉間に皺を寄せるアネッタ。その珍しい反応に驚いたのは他でもないカクであり、彼は優位である状態を維持しながらも、向けられる睨みに肩を揺らした。
「そうやって会話を放棄しないで」
その怒りを滲ませた冷たい声と言ったら。
これでは立場が逆転で示しが付かない。けれども、普段は人懐っこく、愛嬌のある子供である彼女の指摘は彼を落ち着かせるだけの効果があり、カクは彼女の体を覆ったまま、静かに答えた。
「……誕生日のために何かをするというのなら、他所へ行かずわしの傍におってくれ」
「どうして?プレゼントを…プレゼントって外国語か、ええと、カクに何かあげたくて買いにいくだけだよ?」
「お前がわしの妻として隣におること以上の幸福なんざ無い、…ワシャお前が傍におればええんじゃ」
言いながら、ぎゅうっと力が込められて強く抱きしめられる。その時ようやく彼が身を寄せた理由が分かったように思えて、アネッタは小さく息を吐き出して笑みを向けた。
「……カクって結構寂しがり屋なんだ?」
「福徳円満であるほど、恐ろしくなるものじゃ。……この世は寸善尺魔じゃからな」
「すんぜんしゃくま……何それ?」
「この世の中には、兎に角良いことが少なく悪いことばかりが多いという事じゃ」
物を知らん子供じゃのうお前は。どこか呆れたように零される言葉。アネッタはすかさず、カクの言葉がおじいちゃんすぎるんだと言ったけれど、胸にあった寂しさや複雑な感情は和らいだらしい。彼は「こーんな物も知らん子供を一人で他所へはやれんな」となんとも都合の良い解釈で言うと目元を和らげて、華奢な身体を抱き上げた。
「お前が何かをくれるというのなら、今日もわしの傍におってくれ」
耳元で囁いた言葉は、不器用な彼の甘えたで。アネッタは頬を緩めると返事代わりに抱き締めて、クイと引かれるままに唇を重ねた。