スラム街の少女とワニのおじさん

 ある国のとある街。頂上決戦を経て晴れて自由の身となったサー・クロコダイルとダズは、堂々と街を歩きながら情報を集めていた。状況を把握するにはニュース・クーの新聞が最も手っ取り早い。しかし、配布はすでに終了し、ニュース・クーが撤収したあとの時間帯。今から手に入れるには外部の売り手を頼るしかないが、情報の販売元というのは必ず指名手配書があるものだ。……まぁ、だといってその売り手がいちいち通報するかは分からないが、何にせよようやく落ち着いた頃合いだ。今はまだ騒ぎを起こしたくはない。
 クロコダイルは辺りにあった木箱を椅子替わりに腰を下ろす。口にした葉巻は残り僅かなもので、ゆっくりと肺に入れるように煙を吸い込み、一瞬の間、肺の奥で燻らせる。そして細く長い吐息とともに白い煙を吐き出すと、陽の光をも遮る煙は淡く消えていき、わずかに目を細め、残る火を確かめるように葉巻の先を見つめた。
 その時、不意に耳に飛び込んできた甲高い声が、静かに揺蕩う煙を乱すように響いた。

「二十ベリー!一回二十ベリーだよ!」

 クロコダイルが目を向けると、近くで新聞を片手に声を張る少女の姿があった。
 本来、新聞の販売金額は百ベリー。それを二十ベリーで声掛けをしているのは、販売ではなく新聞の貸し出しで稼いでいるのだろう。
 その場で読みたい部分を読んで二十ベリー。買い手は買うよりも安く新聞を見る事が出来て、売り手は新聞一つで稼ぐ事が出来る。見れば少女が掲げている新聞は、薄汚れている上に変な折れ目がついて質が悪い状態。アレもきっと、どこかで拾ったものだろう。……まぁ、今は新品をと我儘を言える状態ではないので色々と目を瞑ることになるが、それにしても随分と利口な商売を考えたものだ。

「お嬢さん、その新聞を売ってほしいんだが」

 ダズを横に控えて声を掛ける。少女はそれに足を止めたあと、差し出された銀硬貨を受け取るものの、反応は薄い。

「……百ベリー、多すぎるわ」
「小銭は持ち合わせてねえ」
「…………お金持ちの人って嫌味なのね」

 言いながら、硬貨と引き換えに新聞を受け取る。そこにはいま求めている情報が叡智のように記されており、それを暫く眺め状況を把握していたが、いまだ少女が場を離れないことが気になって仕方が無い。……百ベリーを受け取ったのなら、それで交渉は終わりのはず。ではなぜ、まだそこにいるのだ。
 クロコダイルが視線を上げると、ダズに圧倒されて近づけもしない大人たちをよそに、少女は物怖じせず口を開いた。

「おじさん、一つ提案をしてもいい?」
「……ほう、おれを相手に商売をしようと?」
「ええ、もしも気が乗らないのなら無理強いはしないわ。でも、きっと悪い情報ではないと思うの」
「クハハ……肝の据わったお嬢さんだ。悪くねえ、話してみろ」
「まずは確認ね、おじさんは追われている身でしょ?」
「何故そう思った?」
「だってそんなお金持ちな身なりをしているのに、此処でこんな薄汚い新聞を買うんだもの。普通じゃありえないわ。それに、その状況じゃ堂々と毎日新聞を買う事も出来ない。そうでしょう?……だから追加で五十ベリー払う代わりに、まいにち私が新聞を買って指定された場所に届けるというのはどう?」

 ああ、勿論届けるたびにその日の新聞代は支払ってもらうけど。たった五十ベリーで毎日配送してくれるなんて悪い話じゃないでしょ?隣に立つダズにも怯えず理路整然と話す少女はひとりの商売人だ。「もしもこれだけじゃ足りないのなら、役に立ちそうな情報も売る。その情報は良い値でいいわ」そう続ける彼女は、付け入る隙を見せぬほど堂々としている。
 ……良い値で良いなんて、安価に見せているが先の話でクロコダイルは余計な小銭を持たない主義だと判明したばかりだ。つまり彼女が指す良い値とは、最低でも百ベリーからの価値になる。……その情報がどれだけのものかは分からないが、何とも上手く話したものだ。
 クロコダイルは外に向けて煙を吐き、口角を吊り上げながら尋ねた。

「……それではお前はたった一度の五十ベリーで配る手間が増えるが」
「でも百ベリーで受け取ってしまったら、今日の売り上げはそれで打ち止めだわ」
「日頃の売り上げには劣る、と」
「えぇ、おじさんは今日いちばんめのお客様。でも、この百ベリーを使えば新聞は買えるけど、私は今日の食事ができない」

 そう言って、一つ深呼吸し、クロコダイルを見上げる。

「だから、おじさんにももう少し投資してもらおうと思ったの」
「投資?」
「ええ、百五十ベリーを投資してくれたら、毎日新聞を二部仕入れて、一部は貸し出して、もう一部をおじさんに届ける。それに、成果報酬で情報も手に入る。……どう?これなら両方に得があるでしょう?」
「……断ったら?」
「その時は諦めるし、おじさんが無理強いをするのなら逃げるわ。新聞代は先に貰ったしね」

 成程、それでわざわざ硬貨を貰った後に提案を仕向けたのか。……しかし、逃げられると確信している事がまず子供らしい間違いだ。クロコダイルの手元は砂に。その分かりやすい変化に少女が目を見開いたが逃げる暇を与える気はない。

「…っな、なに?!」

 さらさらと不純物のない砂たちが、彼女の足首を撫で、ほんの一瞬ちいさな足が宙に浮く。逃げようとした本能的な動きが、砂に絡め取られたのだ。ただ海賊から追いかけられたり、髪を掴まれるのとはまた異なるような、例えようのない全身に響く恐怖感。思わず目をぎゅっと閉じたが、気づけばクロコダイルの胸に抱かれていた。

「へ……」

 近くで見る男の双眼は底知れぬ闇を湛えていた。決して少女が軽口を叩ける相手ではないと、本能が訴えてくる。しかし、その恐怖が杞憂であったと示すようにクロコダイルが大きく笑いを上げた。

「クハハ……クハハハハ!……随分と利口なお嬢さんだ。いいだろう、新聞もそうだが、お前ごと買おう」
「……え?」
「……お前の商才は悪くない。だが、スラムのガキがこのまま生きてても、どのみち碌な未来はねぇ。だったら、おれの手の中で磨かれた方が、まだマシだろう」
「………」

 双眼が、砂嵐のような圧をもって少女を見下ろす。
 クロコダイルは奥歯で葉巻を噛みしめたまま尋ねた。

「不服かね」
「え、あ……、……お金持ちって理解不能だわ」
「クハハハ!それもきっといずれ分かるようになる」

 さらさらと、足の裏を撫でる砂がこそばゆい。少女が足をもじもじと動かすと、クロコダイルは中指にある指を砂にして指輪を抜いて、それをダズの手元に届けた後「ダズ、これを換金してこい」と一言言った。……その時のダズの顔と言ったら。これから新世界に行くんじゃねえのかという顔だ。

「……おれは宝石屋じゃねえんだが」
「クハハハ! 新世界に行く前に、まずは金を作るのが先だ」

 それに割り込む形で少女は身を乗り出して、ダズに向かって言う。「あっ、換金なら裏通り三丁目のデュークルを訪ねて!そこが一番正当な評価をしてくれるの!」その物怖じしない姿にダズはまた何か言いたげな表情を浮かべたが、少女を誘拐していると思われても面倒だ。クロコダイルはまた機嫌よく笑ったあと、先に予約した宿へと足を進めた。