春日
「総菜っていったらよ、やっぱり××ちゃんの作る総菜が一番なんだけど……どれも美味いから悩んじまうよなぁ。くう~!もうちょっと金があれば、此処から此処まで!っていうのが出来たんだろうけど……いや、俺は少しずつ制覇を目指すぜ」
特に広くもないショーケースだけがある店内で、大きな体を屈めて考える彼の顔には笑みがあった。決してお世辞ではないと分かるその言葉。彼は当たり前のように言ってくれるが、作り手にとっては最高の賛辞でしかない。だから彼が顔を上げたときに顔をトレーで隠してしまったのは、まぁ、そういうことなのだけれど。彼はそれを知ってか知らでか笑って「さっきの言葉、本当だぜ」と囁くような穏やかな声で呟いた。
※なお、日頃の食事を夢主の総菜屋に頼り切っているため常連。なぜかほか常連と仲良しで「春日くん新しいメニュー食べた?おっいしいわよぉ」「マジかよ、そりゃあ絶対に買わねえとな!」って話をしている。そして、予告もなく数日休むと家までやってくるし、特に病気でもなさそうだったら「なんだよ、普通に休みかよ……俺ぁ××ちゃんが倒れたと思って……」とその場にヘナヘナと座り込んで安堵する模様。
趙
「……どうして自分で料理できるのに毎日通うのかって?まぁ、敵情視察みたいなもんだよ。系統は違えど料理って分類じゃあ競合でしょ」
言いながらも、ショーケースに並ぶ総菜を眺める趙。言葉自体はなんともそれらしいことを言っているが、なんだかんだ味は気に入っているらしい。
肉じゃがに、豆苗炒め。ナスの揚げびたしに、ポテトサラダ。たくさん買い込む割に馬淵や部下の鉄爪たちには店の存在を明かしていないようで、彼がやってくるのは決まってひとりの時──あるいは男性客がいるときだ。買い物を終えて出ていく男性客をジッと見つめる様子に、「お知り合いですか?」と尋ねると「いいや、知り合いには教えてないからねぇ」と曖昧な反応。「馬淵や鉄爪……その他モロモロに教えてここを広めるのも悪くはないけど、俺が来たときに品切れになってたらムカつくでしょ」敵情視察って言ってるのに、品切れになったらムカつくとはいったい。軽い調子で笑うその様子には、なにか別の意味合いもあったように思えたが、店側が詮索するわけにはいかない。
「ふふ、じゃあ誰にも教えたくない推しの店ってことですね」そう言うと、彼はきょとんと瞬いたあとに息を吐き出すように笑って「そうかもね」──それだけを言って総菜ひとつを指さした。
澤田
「……なんだ、俺が来ちゃ都合が悪いのか」
だって、まさかプロ野球選手が普通に尋ねてくるとは思わないじゃない。そんなことを言いたかったけど、うまく言葉が出ない。横浜で店を開いて三年ほど。地元を離れてようやく落ち着いた頃に尋ねてきた彼は、今も昔も人気者で。決してお遊びなんかで個人の店に来てもいいような人ではない。「……だって、……どうしてうちに……」零れ落ちた言葉は掠れ、驚きに満ちていた。
カラカラカラ──。引き戸の音が小気味よく鳴りながら締まり、恰幅の良い男が中へと入る。それからショーケースの前に立ち、並べられた総菜を眺める男の眼差しは、何かを懐かしむような色がある。「ただ、久し振りにお前の飯が食いたくなっただけだ」穏やかな声に混じる、少しの緊張。視線を上げた彼は真っ直ぐに見て、「迎えが遅くなってごめんな」そう呟いた。
難波
「これから一番のところで足立さんたちと飲むから、そのアテに××ちゃんの総菜を……と思ってよ」
よほど良い事があったのか、普段よりも声が弾むナンバさん。いつもは一品か、せいぜい二品を買っていくだけなのに。五品も選んでいく様子に「何かお祝い事ですか」と尋ねたのは、ちょっとした興味心。──しかし、ナンバさんとしても聞いてほしい事だったのかもしれない。
「それがよ、俺の再就職が決まったんだよ。医療系の仕事で、前の仕事も生かせるってんで即採用が決まって。それで今日はそのお祝いで集まることになって」「ああ、それで……。あ、じゃあ私からもお祝いをさせてください」「へ?」
だって、再就職なんてすばらしい出来事だ。働こうにも住所を持たないホームレスが再就職を決めるのは、かなり難しい筈。それは以前、一番さんも言っていたことだ。遠い記憶のなか、ニュース番組でもそのようなことを言っていたと思い出す。それからいつもは見るだけで購入してくれなかった角煮や、酢豚といったほかよりも少し値が張るものばかりを集めてパックに詰める。
その間の彼といえば「え、そ、そんなにいいのかよ」「利益とか大丈夫か?」「いやぁ××ちゃん、もういいって」と驚きだったり、心配だったり向けていたが自分はまだまだ店を閉められない。「いいんです。私だって一番さんたちのようにお祝いをしたいんですから」そう言うと、彼は照れ臭そうに頭を掻いた。「こんなに祝われちゃ、頑張るしかねえな。……ありがとな××ちゃん。恩にきるぜ」
星野会長
「来て早々申し訳ねえが、お嬢さんのお薦めをいくつか見繕ってくれねえか」
星野会長は、この総菜屋に長く通う常連の一人だ。来店頻度は少ないが、それでも途切れなく月に数度の来店を続ける星野会長。こうやって自分で選ばずにお薦めの品を見繕うよう伝えるのも、考えの放棄……というよりも、“それが安牌である”と信頼の証であろう。
「それじゃあ会長が以前誉めて下さった、ふきのとうのお浸しも入れておきますね」「ああ、あれは良かったな。蕗の薹なんてガキの頃からよく口にしたものだが、ああも丁寧に作っちゃいなかった」「会長の子供の頃……結構気になりますね」「普通の、そこいらにいるようなガキさ。今の時代ほど品の有るガキじゃあなかったがな」
穏やかな会話の中に混じる遠い過去の記憶。ふきのとうのお浸しに、肉じゃが。オクラと山芋の揚げびたし。これから向かう先に若手はいるのだろうか。……趙さんや、ソンヒさんがいるのならもう少し肉を詰めてもいい気はするけれど、別の会合であれば肉が多すぎても残りそうだ。「あのう、星野会長……これは詮索という意味じゃないんですけど、今日行かれる場所の年齢層って……」少しばかりオドオドしながら言うと、彼は少し驚いたように瞬いたかと思うと、肩を揺らして笑った。
「そりゃあ見繕うにも相手先の情報が必要か。気が利かねえですまねえな。きょうの相手先はいつもの二人だ」「うう、すみません……」「いやぁ、適当な仕事をしてねえということだろう。立派なもんだ」
結局、五品ほど見繕っておしまいに。会長が持ち運びやすいよう紙袋に詰めて手渡すと、下駄歯を小気味よく鳴らして「また来るからな」と笑みを向けたものの。数度の月が巡り季節が移り替わった頃合いに、彼の訃報が聞かされる事になった。