「わ、私の家にもう手は出さないで……!」
彼女と初めて会ったのは、佑天飯店で食事をしている時だった。
月に一度行われる“異人三”の簡易会合。テーブルにいっぱいに出された中華料理たちは、すべて横浜流氓の総帥である俺──趙天佑が作ったものだ。
「ほい、これは新作ね」
「相変わらず、量が多すぎねえか」
「大丈夫、私はまだいけるよ」
「そうはいってもよ」
気の抜けた会話に混じる、星野会長の溜息。
文句を言いながらも食事に手をつける様子に、この店のオーナーである俺はニンマリと笑うわけだが──とつぜん、それを遮るように入り口がガラガラと開いて女子高生が入ってきた。「なんだ、休止中の札を出してねえのか」「あれ、出したつもりだったんだけどなぁ……」簡易とはいえ、異人三の簡易会合によそ者が混じってはいけない。
そのためこの会合が開く前に休止中の立て札を立てておいた筈だが、それも見ずに入ってきたのだろうか。
──それとも、あえて入ってきた?
落ち着いた声のまま言い、テーブルにある携帯へと手を向ける。それは“もしもの時”に備えての対策で、馬淵を召喚する事も考えた。しかし、女子高生の顔は青い。肩に下げる学生鞄の肩ひもをぎゅっと掴むと、震える声で言い、会長が聞き返した。
「わ、私の家にもう手は出さないで……!」
「私の家?」
お前らの仕業かと、疑いがソンヒと俺に向けられる。
しかし、身元の特定が簡単に出来る制服姿でやってきた未成年に、心当たりがあるはずもない。制服的に、恐らくは女子高だろうし、これといって縁も感じない。それなのに信頼度の関係か、ソンヒからの眼差しは冷たい。「いやいや未成年に手え出さないって」と首を振るうと会長が静かに尋ねた。
「お嬢ちゃん、いったい何のことだ」
「とぼけないで!い、異人三のせいで、私は、私の家は……!」
「……異人三なんて、一体どこで知ったんだ」
「だって、私の家に押し入るときに、いつも……」
上手く会話がかみ合っていない。それは少女自身も感じたよう、で言葉を濁して怯むような姿を見せるものの──この場にいる人物が、異人三である事は間違いないと確信しているらしい。噛み合わないその会話を、誤魔化されたのだと認識した女子高生は怒り、学生鞄からスラリと線を引くようにナイフを取り出して、震える両手で構えた。
「ご、誤魔化さないで……うちの家は異人三のせいで……!」
「はあい、ストップ。別になんでもいいんだけどさァ……“それ”を出したら目を瞑る事はできないよ」
俺は言いながら立ちあがる。それから距離を縮める間の言葉尻は柔らかくしたものの、床を叩く硬いヒールの音は明確に圧をかけている。静かな沈黙に孕んだものは計画的な犯行には思えず、ナイフを持った手が気の毒に思えるほどブルブルと震えている。「値札のシールも剥がさずに……よほど可哀そうな目にあったんだねぇ」──そう寄り添うように言うと、彼女のナイフを取り上げて、それから手を引いて椅子へと座らせた。
「これ、いま出来たばかりだから食べていきなよ。いいでしょ、ソンヒ、星野会長」
「ああ、私は構わないぞ」
「あぁ?……まぁ、量が多くて困ってたんだ、俺からすりゃあ大助かりだ」
──が、当の本人からすれば訳が分からないか。色々と意を決したのにナイフはあっさりと取られて、それどころか食事も出されて。
「最後の晩餐、的なやつですか」
呟く言葉はやけに大真面目で、珍しく会長が破顔して笑い声をあげた。
「ははあ、最後の晩餐たあ、えらく物騒じゃねえか!」
「ちょっと笑いすぎじゃない?あのねぇ、これは俺が作ったものなんだけど、それをそんな物騒なものにあてはめないでくれる?別に君を殺そうなんて思ってないよ」
「見るからに訳ありだからな。ほら、早く食べないと全て私が食べてしまうぞ」
そうして、良く分からないまま食事が始まり、困惑している女子高生にレンゲを差し出すと、出された炒飯を控えめに頬張る。その時を眺める俺は、口に含んだ瞬間かがやきだした瞳に笑うも、それはきっと作り手としての誇りが見せた顔だろう。
「美味しい?」
「はい、あの、すごく」
「そう、それはよかった」
そんな短い会話は穏やかに過ぎ、ようやく肩の力が抜けた様子の女子高生は、グラスを手に、濡れた表面を親指の腹で撫でる。それから、少しばかり言葉を選ぶようにして尋ねた。
「あの、……お兄さんたちは異人三、なんですよね」
確認するような言い方。
その言葉に、先ほどの怯えはない。
「ああ、そうだ。嬢ちゃんはどうしてその言葉を?」
「……え、っと、……その、……最近“異人三”と名乗る人たちが、うちに……あ、えっと、うちは父と母がパティスリーをやっているんですけど」
「ぱてぃすりー?」
なんだそりゃあ、と星野会長。
すかさず「ケーキ屋のことだよ」というと、そのまま言葉を続けるよう視線を向けた。
「それで、ある日うちにやってきた男の人たち虫が入ってたって騒ぎ出して……そのときは父が毅然と返して対応したんですけど……それ以来、異人三に逆らってどうなるか分かってるのかと店の中で暴れたり、噂を流したり、……店に張り紙を貼ったり」
「張り紙?」
「……借金返せとか、根も葉もないうわさですよ。……もう本当に、やりたい放題で」
「なるほどな、それで親の代わりに止めにきたのか。……随分と勇気があるじゃないか」
「はい、異人三というのは横浜で有名だっていってたので、彼らが言ってることを私なりに調べて……そしたらこの店にたどり着いたんです」
対したものだ。親へ向けた嫌がらせを止めるために、ここに“辿り着く”なんて。
そのような外道たちのもとへ乗り込めば、最悪の事態になることも覚悟していただろうに。
ここまで聞いた事でようやく合点が言った先ほどの状況。彼女の顔が真っ青だったのも、ナイフに値札シールが貼られていたのも、ようやく意を決した状況だったのだ。……ただ、それでも話を聞いた限りでは我々がやったことではないし、そのような“外道”を部下たちがやるようにも思えない。許しもしない。
「そいつらの写真はねえのか」
会長が言うと、女子高生は思い出したようにポケットから携帯を出した。
「あ、あります……防犯カメラのデータなんでそこまで鮮明じゃないんですけど……」
「ああ、なんだバッチリ映ってるじゃねえか。これを警察に持って行った方が早いんじゃねえか」
「警察はそれぐらいじゃ動けないと……」
「警察もピンキリだからねぇ……ねえ、ソンヒ。そっちのネットワークで特定はできない?」
「……そうだな、確かに顔はバッチリ移っているし、このデータを使えば特定は出来ると思うが……彼女次第だろう」
データさえあれば特定は可能だが、報復を受ける可能性は秘めている。
その上、いまは勘違いで襲撃をした直後だ。いくら藁にもすがりたい状況であったとしても頷きづらいらしい。
「え、でも、……私勘違いできちゃったのに……」
戸惑う声が言い、それでも拭いきれない不安に表情が曇る。……しかし、すでに乗りかかった船であり、不安いっぱいな顔を見た状態で帰すのも酷というもの。何より異人三を騙っての行動だ。これを許すわけにはいかない。
異人三を囲む佑天飯店の中では、皿にレンゲや箸がカツンカツンとぶつかる音ばかりが響く。いまだ食を進めるのはソンヒただ一人で星野会長は、手にしたグラスを置くと女子高生を見た。
「それじゃあこうしねえか。月に一度、お前んとこの菓子をこの佑天飯店へ届けにきてくれ。それが詫びであり、手間賃としようじゃねえか──」
*
それが、彼女との出会いだった。
気付けば女子高生だった彼女は専門学生に。俺たちの簡易会合という名のお喋りは、すっかりウチでやることになっていた。
「天佑さん、皆さんいらっしゃいますか?」
真っ白な箱を手にした××が扉を開く。既に到着したソンヒと星野会長の顔には柔らかい笑みがあり、「すっかり懐柔されちゃって」という言葉が落ちたのは──まぁ、本当の事なので目を瞑ってもらいたい。
「ご覧の通り、もう来てるよ。それで、今日はどんなケーキを持ってきてくれたの?」
「実はお父さんに認められて、一品だけ私が作ったケーキを置いてもらうことになったんです。今日はそれを……」
あの日以降、彼女の居る店に異人三と名乗る奴らは現れていない。
それは月に一度の簡易会合という名の経過報告で受けており、あの時の怯えた姿はもう思い出せなくなるほど遠い記憶になっていた。
テーブルに出された四つのケーキ。今日出されたケーキは、いかにも星野会長が好きそうな抹茶仕立てのケーキで、中華料理屋で出すにはなんともチグハグではあるが、月に一度のことだ。
彼女の向かいに座って、今日この時のために用意したデザートフォークを配ると、二度と表舞台には立てぬだろう男たちのことも忘れて、皆で舌鼓を打った。