薄汚い掃き溜めを駆ける重い足は、僅かに鼻腔を掠める一筋の煙草の匂いを辿る。煌びやかな一階を通り、女好きのウルチの誘いを断って地下一階へと降りた先はデビルズネストの根城だ。
だが、デビルズネストは陰に潜む日陰者の集まりだ。用意された環境はお世辞にも優良とは言えず、配管を張り巡らせた天井からは水が垂れ、その箇所は数か所に上る。その上、雨漏れの原因となっている配管にはガムテープのようなものが雑に貼られているだけで、あとは担当者がやるだろうって考えが見え透いている。
ああ、まさか修繕担当が少しの間留守にしただけでこんな事態に陥るとは。
その先で木箱の上に胡坐をかいて、煙管から紫煙を燻らせる男の姿を目に映す。犬をかけあわせて造られた合成獣で人一倍鼻が良く、私がこの場に居る事だって気付いているだろうに、声も掛けずに気付いていませんって態度を見せるとは良い度胸だ。私は気付かれている事を承知で「ド~~~ルチェット!」なんて馴れ馴れしく声を掛けながら、木箱の後ろから飛びついてみる。すると、矢張りこの男は気付いていたようで、大した反応も見せずにどこか呆れたような顔を向けると「相変わらずうるせぇなぁ」と煙を吐き出した。
「あ、やっぱり気付いてたんだ」
「そりゃ分かるだろ」
「わんちゃんだから?わんわんっ」
「張っ倒すぞ」
「本当のことなのに」
「言い方が気に食わねえ」
顔を天井に向けて、煙で輪っかを作るドルチェットを見る。ぷかぷかと浮かぶ紫煙の輪っかは、まるで天使の輪のようだが、この男ほど天使の輪が似合わない男は居ないだろう。それに、なんだか縁起でもないように思えて手の甲で輪っかを払うと「んだよ」と愛想の無い言葉が返ってきた。
「べーっつにー?」
理由を話すには少々恥ずかしいような気がして、此方も愛想無く言葉を返す。ついでに誤魔化すように、ドルチェットの座る木箱の隅に飛び乗って座ってみたはいいものの、慣れぬことをしたせいなのか、膝に鋭い痛みを受けた私は直ぐに体制を崩してしまい、体がずり落ちる。慣れないことはするものじゃないと思ったが、意外にも完全に体が倒れる寸前のところで、横から太い腕が伸びてきた。私は目を見開く。ドルチェットが私の体を支えてくれたのだ。
「……っと、おい、お前気ィ付けろよ」
相変わらず愛想の無い言葉だったが、円環を幾つも重ねた瞳は僅かに驚きを滲ませており、太い腕が木箱の上までしっかりと引き上げると「慣れねぇことすんなバカ」と呟いた。
「あは…ごめん、ありがとう」
「……」
「……ドルチェット?」
「……まだ足は使えねぇのか」
暫くの沈黙の末、ドルチェットが零す。
彼が指し示す私の足は機械鎧であった。鮮やかな橙色のワンピースから伸びる二本の機械鎧は、まだ真新しく、傷一つない状態で、品質自体はラッシュバレー産であること、それから良い技術者に提供してもらった事で折り紙付きなのだが、彼の言葉が示すのはあくまで品質云々ではないのだろう。傷一つない機械鎧で分かるとおり、私はこの脚になってまだ日が浅い。何とか過酷なリハビリを乗り越えたけれど、いまだ体に馴染んでいないのか痛みは強く、いまこうしている間も僅かな痛みが続いている。
ラッシュバレーではもう少し此処でゆっくり療養をした方がと声を掛けてもらったが、私もまた此処のみんなと同じ日陰者だ。大丈夫なんていって戻ってきたけれど、やっぱり戻るにはまだ早すぎたのかもしれない。
「ん、あぁ、いや、歩けはするけど……、……違和感なく馴染むまではもう少しかな」
「……そうかよ」
「……気にしてる?」
「気にしてねぇよ」
ドルチェットの声が、普段よりも低い。
嘘つき。あの時、足を切り落とされた時、一番に怒り狂っていたのはドルチェットじゃないか。
そのあと私をおぶって、さらには切られた足を持って、どうにか足をつけることは出来ないかとダブリス内を駆けまわったのだって、他でもないアンタなのに。
言葉無く、ドルチェットに凭れかかる。ドルチェットはやっぱり「重ェよ馬鹿」なんて言ってたけど、私は気にした様子も見せずに預けた頭をぐりぐりと押し付けて「ただいま、ドルチェット」と笑ってやった。
その後、マーテルからは「帰ってきて早々仲がいいわね」と揶揄われて、馬鹿なドルチェットは「だ、だれが仲がいいだ!!」と顔を真っ赤にしていたけれど、彼女の言うとおり私とドルチェットは特別仲が良いので、ドルチェットの手を引いてキスをする。すると案の定可愛いわんちゃんは、頭から火が噴き出すんじゃないかってくらい顔を真っ赤にして「~~~~っお前、なぁ!」と声を荒げたけれど、それだけ顔を真っ赤にして怒鳴っても全く怖くない。
「あはは、顔真っ赤にしてやんの」
「うるせぇ!こンのクソアマ……!!」
犬が呻くようにドルチェットが眉間に皺を寄せながらウウウと呻く。それがなんだか面白くって、私はマーテルと一緒に笑ったけれど、相変わらずドルチェットは怒っていたし、ロアは隣で呆れたように息を吐いていた。
ああ、やっぱり早く帰ってきてよかったな。
私は彼の怒声にも人知れず安堵しながら、ひっそりとそう思うのであった。