人が爪切りをするように、キリンの蹄もまた手入れが必要で、足だけをキリンの形状に変えたわしは、高枝バサミの形状に似た、蹄専用の削蹄バサミの刃先を蹄に宛がい力を込める。ばちんっ。小気味よい音が室内に響く。多少手間のかかるメンテナンスではあるが、この手入れをしなければ徐々に歩き方に影響が出て、関節が悪くなるというのだから、軽視することはできないのだが、ばちんと音が響くたびにそれを見守るアネッタの肩がびくりと跳ねる。
ばちん
「ひっ」
ばちん
「ひっっ」
悲鳴に似た短い音を出しながら肩を跳ねさせる姿は面白いやら不思議やら。怖いのなら見なければいいのに、好奇心が勝るのか、視線は削り・切り取られる蹄に向かったままだ。
「怖くないの……?」
「キリンの爪切りが?」
怖がるアネッタをよそに、少しずつ外側から形を整えるように削り取りながら言葉を返せば、「そ、そうだけどさぁ…人間の爪切りはこんなにおっきいのじゃないでしょ」とアネッタが不安そうな表情で覗いて、ばちんという音に肩を跳ねさせる。その反応を見たいがために、もう少し蹄を切っていたい気もするが、これ以上は逆にバランスが取れなくなってしまう。名残惜しいがこれで御終いにしようと削蹄バサミに置いて、蹄に残るカスを払うと、怯えながらも最後まで見守っていたアネッタが「触ってもいい?」と手を伸ばした。
「別に構わんが…」
「……本当にいたくない?」
「わははっ、痛かったらこんなことせんわい」
「んん、そうだけど……」
アネッタの手のひらが蹄を包み込み、細い指先が綺麗に整えた箇所を撫でる。悲しいかな。そこに感覚神経は通っていないので、触れられる感触は伝わらないが、それでも心配と関心が混じった視線は妙に心地がよかった。
「あ、ねぇ、ここ尖ってるから仕上げをしてもいい?」
それから暫く経って、飽きもせずに蹄を触り続けていたアネッタが蹄の足底部を指して問いかける。
見れば、確かに少しばかりささくれだったように鋭利になっているが、なんせ蹄の足底部だ。どうせ歩いている間に削れるだろうから気にする事はないのだが、「これぐらいじゃったら無視でも平気じゃぞ」と伝えても、アネッタは「私がしたいの。駄目?」と唇を尖らせる。ははあ、暫く触り続けていたのはこれが目的か。
「……物好きじゃのう」
彼女の言う仕上げというのはやすり掛けのことだ。キリンの蹄なんかにやすり掛けなんか必要ないのに、何処からくすねてきたのか隠し持っていたやすり棒を取り出すと、ささくれだったように尖った部分に宛がって、ぞりぞりと、そりそりと上下左右にスライドさせてゆっくりと削り始めた。
「面白いか」
「ん、面白いよ。」
「そうか、そりゃあよかったわい」
「また切ることになったら教えてね」
「あぁ」
ぞりぞりと、そりそりと。ゆっくりと丁寧に仕上げ作業を行われる間、手持ち無沙汰になってしまったわしは、彼女の髪の毛を掬って指にくるくると絡めながら、「のう、アネッタ。今度どこかへ旅行にでもいかんか」と他愛のない事を呟く。アネッタは蹄に向き合っているゆえ、長い睫毛は伏せられたままで、金色の瞳が此方に向けられることはなかったが「いいね、どこにいく?」と穏やかに紡がれた言葉が返ってくる。
そんな穏やかな時間が、どうしようもなく愛おしくて、指先に彼女の髪の毛をくるくると絡めながら、「そうじゃのう……出来れば飯が上手いところがいいのう」なんて、会話が途切れようもない選択肢の多い言葉を返した。
ぞりぞりと、そりそりと。穏やかな時間は、続く。