もう逃さない

 海鳥が共に泳ぐ海上にて。小柄な酒瓶を片手に、船べりへと背を預けた女は、まだ日が高いうちから宴を始めた男たちを見て呆れを零す。そういえば、ロジャー海賊団も昼間から宴をする事があったが、海賊というものは例外なく宴好きなのかもしれない。

 宴の中心で、樽型ジョッキを手に酒を煽る男は懸賞金・四十億越えの四皇には見えないが、それでも、あの頃と変わらない顔で笑うシャンクスを見るのは、どうにもいやではなかった。

「つまらないか?」

 宴を楽しむ一同肴に酒を飲む私を見て、副船長のベン・ベックマンが隣で声を掛ける。特につまらない気持ちでは無かったと思うが、端の方でひとり突っ立っていればそう見えても仕方ないのかもしれない。

 乾杯と言う代わりに酒瓶を軽く掲げる彼に向けて、カチン、と手にした酒瓶でキスをして一口煽ると、ベックマンはもう一度「此処はつまらないか」と尋ねた。

「別に?つまらないなんて思ってないわよ。……四皇の船だし、思いのほかアンタたちもいい人だしね」

「そうか、そいつは良かった」

「ねぇ、ベックマン」

「ん?」

「……シャンクス、あれで船長なのよね」

「あぁ、うちの立派なお頭だ」

「そう……」

「……」

「……昔は、姐さん姐さんって…犬みたいについてきて可愛かったんだけどねぇ」

 いや、ある意味、今も姐さん姐さんと言ってはいるが、どうにもあの頃の純粋さというものは消え失せているように思う。ちびちびと酒を煽りながら零せば、ベックマンは肩を揺らめかせながら笑った。

「今はどうなんだ?」

「今?……まぁ、笑ったところは変わらないから可愛いかしら……なんかクマみたいよね」

「クマ……」

「……ああ、ベックマンも私からみたら可愛いわよ」

なんせ、彼もまた、私と比べたらうんと年下だ。年下の生き物はなんだって可愛いと相場が決まっているもので、だからこその発言だったのだが、ベックマンは煙草を咥えたまま唇をへの字に噤むと「……どうかしてるな」と言葉を濁らせて、まるで苦言を呈すように零した。

「そう?」

「おれを相手に可愛いなんてアンタぐらいだろうよ」

「ふふ、プレイボーイでもそういった経験はないのね」

「………」

「ああ、お褒めいただきありがとう」

「褒めてはいないが……それで止めるタマじゃなさそうだ」

 一体誰から吹き込まれたのだと言いたげなベックマンの視線は愉快で、腕を伸ばして彼の頬に手の甲を寄せると、ベックマンはそれを見て頬を寄せた後、唇を押し付けて「おれは可愛がる性分でね」と瞳を細めた。──まぁ、そう言われても、私から見たら可愛い反抗にしか見えないが、それを言って彼を煽っても面倒だ。そこで視線を一度落としたのち、此方に声を掛けたそうなサングラスの男へと目線を向けると「なあに、ライムジュース」と問いかけた。

「え、あ、」

 サングラスをした彼は、綺麗な髪を揺らして動揺を示す。言葉を上擦らせるあたり、彼はこういった光景に慣れていないのだろうか。僅かに気まずそうな色を見せるあたり女に手慣れていそうに見えず、その様子を見ながら酒を煽ると、ライムジュースは一度横入りしても良いか尋ねるようベックマンを見た後、ベックマンが頷くのを見て問いかけた。

「…アンタのこと、なんて呼べばいいんだ?」

「ん?」

「……お頭は姐さんと言ってるし、おれたちもそう呼んだ方がいいのか?」

「まぁ、お頭がそう言っている以上はおれたちもそれに準ずるべきなのかもしれないが……」

 ベックマンを見上げるライムジュースの問いかけに、ベックマンが私を見る。これじゃ一体誰に向けた相談なんだかと言いたかったが、そういえばこの船に乗ってからやけにライムジュースと目が合っていたことを思いだす。その時は、矢張り急に女が乗船したことを快く思っていないのだろうか、なんて思ったものだが、こんなことで悩んでいたのか。小さな子供じゃあるまいし、呼び名一つでなかなか話しかけられなかった彼のことを考えるとどうにも可愛らしくて、思わず「んはは」と笑いが零れおちた。

「な、なんだよ……」

「はは……いや、…そうね、……うん、別に姐さん呼びでも構わないけど、姐さんと呼ぶなら私も可愛い弟分扱いするわよ」

 どのみち、彼らもまたシャンクスと同じように私から見たら可愛い弟分でしかない。

 しかし、私の意に反して、大の大人が子ども扱いというのは屈辱に近いのかもしれない。二人は青ざめて、どこか口端を引きつらせながら「……、…名前で呼ばせてくれ」「……おれも」と言うので、なんだか兄弟のようだと笑えてしまった。

「ふふふ、可愛い坊やたちねえ」

「あーーーっっだめだ、こいつと話してると調子が狂う!!ベックマン逃げようぜ」

「あぁ……この人は駄目だな、おれたちが叶う相手じゃなさそうだ」

「あら、いつでも相手してあげるわよ」

「結構だ!」

 そうして兄弟のような二人がいなくなったあと、遠くで聞こえる笑い声を耳に、体を捻って船べりへと体を向ける。少し大きな波に揺られて僅かに体が傾く感覚も、それから鼻を擽る磯の香りも、それから耳に届く男たちの豪快な笑い声も。どれをとってもいつぞやの生活を思い出させて懐かしい気持ちにしてくれたが、無理やり船に乗せられている身だ。いくら身内のいる船とはいえ、多少の緊張による疲れが溜息として零れ落ちた。

「……姐さん、また降りようなんて考えているんじゃないだろうな」

 ただ、その零れ落ちた吐息すら掬われると、流石に肩が弾む程度には驚くわけで、踵を返すよう振り向くと目の前は陰一色。それが太陽を遮るようにして長躯の男が立っているからだとすぐに理解できたが、片手を船べりに置かれ、逃げ道を塞がれると、息をつく暇もなく「シャンクス…」と彼の名を呟いた。

「姐さんはもう少し利口かと思っていたんだが…」

「無理やり船に乗せられて大人しくしてろって?」

 交渉決裂の末の乗船。

 合意があれば多少は大人しくできたかもしれないが、交渉決裂で乗せられた船で大人しくしている義理も無い。よって、ついて出た言葉は存外刺々しいものであったが、効いてないですって顔で見下ろす彼を見ると、これ以上の言い合いは無駄に思えて、何度目かの溜息を吐き出した。

「……はぁ……、……どうしてそう私に執着しているのか分からないけど、…久しぶりに会ったら腕はないし、顔も男前になっちゃって」

 言いながら、そこではじめて彼をしっかりと見る。

 あの日、姐さん姐さんと後ろをついてきていた少年は、今や大人で四皇で。五体満足だった筈が腕を無くして、顔には片目を横断するほどの大きな三本線を残している。

 いくら此方から理不尽に縁を切った身であるとはいえ、可愛がっていた弟分が傷ものになっていると腹立たしさに似た心配が滲んでしまう。きっと、ロジャーが生きていたら恰好よくなったじゃねえかなんて無神経に笑い飛ばすだろうが、それでも姐としては心配が一番に出てしまう。

 ただ、シャンクスは此方の心配を受けて、何処か機嫌をよく穏やかに笑むだけで、船べりについた手を下ろして腰を抱くと、ぐっと身を屈めて此方へと。それが何を意味するかは、近づいてきた睫毛を見てすぐに理解をしたが、そのままキスを受けるほど可愛らしい女ではない。

 よって、手にした酒瓶を顔前に向けてやれば、見事キスを塞がれたシャンクスは「……なんだ、つれないな」とつまらなさそうに酒瓶から顔を覗かせて呟いた。

「男前だとは言ったけど、キスしていいなんて言ってないけど」

「レイリーさんとはしてただろ」

「……見たの?」

「……見てしまった、が正しいな」

「ああ、そういうこと……」

 男だらけの船に乗船する以上、綺麗な関係だけではいられない。つまりは彼の言うことは紛れもない真実なわけで、恋人でもないレイリーから腰を抱かれてそういったことを行ったことはあったが、「あれはレイリーが勝手にしてくるのよ」。

 いつだってレイリーは紳士な振りをした身勝手な男だった。後半は最早抵抗するほうが体力の無駄だとされるがままであったが、まさかシャンクスにまで見られているとは思わなかった。ただ、その一方でシャンクスにとっては意外だったのだろう。シャンクスは子供のようにしぱしぱと目を瞬かせると、「そうなのか?」と尋ねてきた。

「そうよ、私がレイリーと付き合ってるなんて言った?」

「いいや、言ってないが照れ隠しかと」

「照れ隠しなわけないでしょ、女好きと付き合う気なんてないわよ」

「………、……そうか」

 そうか。そうなのか。シャンクスはどこか機嫌よく言葉を繰り返す。だからてっきり納得してくれたかと思ったのだが、彼は「じゃあ、いいか」と言って身を引くわけでもなく「じゃあ、おれもいいだろ?」と言って、目の前にある酒瓶を頭を摺り寄せるような要領で軽く横に押し返すと、それにより隠す事の出来なくなった口端へと口付けて、悪戯に、子供のように笑った。