打開策に独占欲を滲ませて

 屋根から滴が落ちる。雨宿りという口実で身を寄せ合った先で、泡を積もらせた樽型ジョッキを片手に歓談する中、ただ一人、席を立った女だけは戸惑いの色を滲ませていた。視線の先には女よりも頭が二つ分、三つ分と抜きんでた大男。握るとぽきりと折れそうな細い手首を掴む大男は、女の華奢な腰を抱き寄せて、ニタリと笑った。

「よお、姉ちゃん。アンタ、ガレーラのとこの女大工なんだってな。」
「え?あぁ、はぁ」
「聞いたぜ、若くして潜水を任された職長の一人だとか……あの職人達の中で職長を張る女なんて、どんなゴツい女かと思えば随分と可愛らしい姉ちゃんじゃねえか」

 尋ねる大男の口からは酒の匂いが漂い、返事を返す間もなく続いた言葉は、思わず耳を疑うようなスラングで構成されたセクハラだった。といっても、スラングが酷いせいで腰を抱かれた女――アネッタはいまいち理解できていないようだったが、スラングの意味が分からずとも、腰を抱く手や、大男の目を見れば、何を言っているかはおおよそ理解が出来る。
 アネッタは目の前の大男を見上げて瞬きを繰り返すばかりで、どう返したものかと考えあぐねている様子ではあったが、腰を抱く大きな手のひらが腰を滑り、そのまま尻を滑れば話は別だ。なんせ気持ちが悪い。知り合いならばいざ知らず、他人に触られるような趣味は持ち合わせちゃいないのだ。

「やめてください」

 彼女にしては、比較的しっかりとした否定だった。酒瓶を持った手が大男の腹を押し、行動でも拒否を示したが、男尊女卑の傾向にあるこの世界で、力の無い女が逆らう事に違和感を覚える者も多いらしい。それも酒場という公衆の面前でお誘いを断ったともなると、大男の面目丸つぶれだ。

 先ほどまでへらへらと笑っていた筈の大男は「何?」と言葉を落したかと思えば、わなわなと肩を振るわせる。それも熱湯を被ったように顔を赤くした大男は「何だと…おう、もういっぺん行ってみろよ」と尋ねながら抱いた腰を払うようにして放すと、回答の暇を与えずにアネッタの首を大きな手で掴んで、小柄な体を持ち上げた。

 その光景は、暴力による脅しと、怒りの発散であることは明らかであった。

「ッぅ……!」

 途端に詰まる息。呼吸器官が上手いこと絞められていると理解したのは数秒後の事。太い丸太のような指が首に食い込んで痛みが走る。足をばたつかせたところで、なんの抵抗にもならず、苦しむ様を愉快だと笑う大男は、己の強さを誇示するようにアネッタの体を高く掲げて目を半月に描いた。

「はっはぁ!!勘違いしてるようだなァ姉ちゃん!お前みたいな女に拒否権があると思ったか?!どうせガレーラカンパニーでもその体を使って、穴兄弟でも増やしてるんだろうよ!」
「っか、んちが…いも甚だしいです、ねぇ……っそ、んなことして、な…っうう!」
「お?なんだ、やろうってか?そんな酒瓶一つでどうするつもりだ?」
「……ッ!」

 ぶるぶると震える手は、首を掴む大男の腕の下に伸びる。その手には酒瓶が握られているが一体何をしようとしているのか。酒瓶で殴るにはリーチが無く、かといって酒瓶を武器とするために酒を割るような壁やテーブルなどは無く、それを示すようにぷらんと浮いた足が虚しく空を蹴る。

 そのことから大男は余裕の表情を見せて「それとも何か?ベッドでこれを飲もうっていうお誘いか?」と笑ったが、当然、その選択肢はあり得ない。

 アネッタは、下世話に笑う大男の視線に表情を歪めながらも無理に口角を上げて「あは…まさか。……ねぇ、水撃、って知ってる?」と一言尋ねると、返事も待たずに掴んだ瓶の口を拳で勢いよく叩いた。

 すると、勢いよく叩かれた瓶は、衝撃を受けて位置を下げるが、瓶の中にある酒は叩く前の位置に留まったままでーーつまりは酒の下に、一瞬だけ真空という名の隙間が出来る。そうして真空が生まれると、酒が底に戻る際に酒を強く底に叩きつける現象を引き起こすのだが、その衝撃は水撃として瓶の底を突き破る。

 それにより中にあった酒はびちゃびちゃと音を立て床へ。一瞬の出来事に、大男は一体何がと驚きに目を見開いたが、動揺とはつまるところ一瞬の隙だ。それを殺し屋を生業とする女が見逃す筈も無く、割れたことにより鋭利に光る硝子で大男の肌をつうと撫でると「形勢逆転ですね」と掠れた声が笑った。
 撫でた腕から滴る血が、割れた酒瓶をなぞる。それは誰から見ても、小さな女が大男に一本取った瞬間だ。本来ならば此処で拍手喝采が起きても良いところだが、この大男は性格も悪ければ諦めも悪いらしい。

「……っこ、これで勝ったつもりか?」

そう呟いた言葉は、まだ勝機は此方にあると言いたげではあったが、首を締めるが早いか、動脈を切るが早いかチキンレースがしたいわけではないだろう。

「はぁ……ッ、……ええ、もちろん」
「ハ、おれがお前の首を折って」
「だって、わたしが一人だって思い込んでる時点であなたの負けじゃない」
「は―――オ、グッッ!?」

 その瞬間、大男の頭が勢いよく後ろにのけ反って雄々しい喉ぼとけを見せる。喉には麻縄がきつく巻き付いており、肉に沈み込んだそれに呼吸法を失った大男はアネッタの喉を締めている事も忘れて手を離して麻縄に手を伸ばしたが、それも反応するには遅すぎた。

「R・Aハーフノット…エア・ドライブ!!」

 酒場に響き渡る怒声じみた大声が響いたかと思えば、巨体が人形のように後ろに引かれて床に落ちる。大男は苦しさと痛みのあまりに声も無く足をばたつかせていたが、床に落ちた男に当然勝機なぞ残っちゃいない。最後にそれを固い靴底で踏んづけた麻縄を引くゴーグルの男は「テメェ、うちの従業員に手を出すなんていい度胸してんな」と地を這うような声で大男を睨みつけた。
 これにてナンパ騒動は御終い。大男はパウリーの麻縄により蛹のようにぐるぐる巻きにされ、力持ちのタイルストンにより蹴り出されていた。

「全く、アネッタも不運だな」

ルルが笑いながら座りなおすアネッタに向けて、ブルーノに新しい酒を注文し、隣にいたカクが、げほ、と咳ごむアネッタの首に残る跡を見て「矢張り女職人は目立ってしもうて敵わんのう」と息を落とす。そこに、「なんか目印とかありゃいいんじゃねえか」というのは、今しがた一仕事を終えたパウリーの談。だからといって特に具体的な策はないようだが、アネッタに新しく用意された酒をひょいと奪い取ると「お礼に貰うぜ」といって口をつけていた。

「あ!私のお酒……ってまぁ、別にいいけど、それにしても目印って?」
「目印って、例えば恋人や既婚者がいるような目印がいいんじゃないか」
「あー……指輪とか?でもさぁ、指輪って私恋人もいないのに虚しくない?」
「まぁあくまで男避けだからな」
「待って、ということは私はこの先も彼氏が出来ない…ってこと?!」
「フルッフー!お前みたいなじゃじゃ馬はどのみちできないッポー」
「あ!酷いよルッチ!」

 確かに絡まれることの多い職業だ。だから彼らの言う虫除け策は効果的であると理解しているが、どうにも引っかかる。それが何故だか分からないが、どうにも腑に落ちず唇を尖らせていると、隣から「じゃあ、これでいいじゃろ」と声がして、カクがアネッタの肩を掴んで引き寄せる。

 アネッタからすれば、唐突に体が傾いたのだ。驚きに目を丸くするのも当然の話ではあるのだが、途端に首筋にツキリと痛みが走れば丸くした瞳が一瞬で横に細まって、眉間に皺が刻まれる。それが、カクが唇を押し付けている事に大きく起因していると理解できたのは、数秒とかからなかったが、カクは中々離れない。首筋に唇を押しあてたまま肌を吸い上げて、痛みに呻くアネッタの肩を大きな手のひらで掴んだ彼は、そのまま暫く其れを続けて、やがて唇を離した時にはくっきりとした、わかりやすい所有者痕が残っていた。

 それには周りにいる男たちも唖然とした様子で「おま…」と突っ込むに突っ込めない様子で言葉を落していたが、当の本人は「ま、こんなもんじゃろ」と唇を舌で舐めながら平然と言い放つ。それどころか「のう、アネッタ」と笑うカクは首絞め痕と、自身が残した痕の残る首を撫でると、アネッタは訳も分からないまま喉をひくりと震わせて「う、うん」と小さく頷いた。