「失礼します!…ッ、カクさんが、カクさんが戦死されました!」
そんな言葉が飛び込んで来たのは、厳かな沈黙が支配する指令長官室だった。
カクが戦死した。驚愕と絶望を孕んだその報告は、別件の報告を受けていたスパンダムの鋭い瞳にも、ロブ・ルッチの冷徹な表情にも衝撃を広げるほどで、暫しの沈黙を打ち破ったのは、たまたま書類の提出に訪れていたアネッタの一声であった。
「え?」
アネッタは繰り返す。
「カクが……死んだ……?」
緊張感に包まれた部屋に虚しく響く言葉。スパンダムは冷静な表情のまま、情報の正確性を確認しようと「死体は上がってきてんのか」と尋ねる。日頃から器用にソツなく熟し、若くしてCP9に昇格するような男が、こんなにも呆気なく、あっさりとくたばってしまうものだろうか。
些か懐疑的であるという意図での問いに、目深に帽子を被った報告者は頭を垂らし、頷きを返した。
「断定できるものではありませんが、それらしきものが」
「詳しく話せ」
「はい。報告によると、ターゲットにあたっていたカクさんの付近で原因不明の爆発があり、そこで……身元不明の焼死体と、それからカクさんの帽子と……刀が。」
「身元不明の鑑定は進んでいるのか」
「……いえ、遺体の損傷が激しく身元の調査は難しいと」
「バラバラか黒焦げっつうことか……」
カクを派遣した任務は暗殺任務ではあったが、彼が苦戦するほどのものではない。それが一体全体、何がどうして戦死するような事になったのか。不慮の事故か、それとも此方が把握できていない厄介な能力者でもいたのか。しかし、今ここに証拠が無いとはいえ焼死体とカクに関連したものが其処にあったのならば、それは、そういうことなのだろう。
スパンダムは執務机に手を置いたまま、何か思案する様に人差し指の爪先でトントンとテーブルを数度叩くと、視線をアネッタへと滑らせた。
「……カクが……」
案の定、アネッタの瞳は動揺で揺れていた。彼女たちの関係性を思えば当然ではあるが、かといって此処は仲良しこよしの学校でも家庭ではなく職場だ。スパンダムは理解を拒んでいるのか、いまだ呆然としたままのアネッタを眺めた末、静かに言った。
「オイ、アネッタ。お前資料をやり直せ」
「……え…?」
「記述がおかしい箇所がある、さっさとやり直して来い」
「あの、で、でも」
「二度も言わせるな、出ていけ」
理解を拒んでいる癖に、僅かに見せた抵抗。
そりゃあそうだ、此処に居なければカクの情報を知る事は出来ないのだから。しかし、それでもそれを遮るようにして言ったのは、スパンダムではなく先ほどまで口を噤んでいたルッチであった。スパンダムは少しばかり意外そうな顔を向けたが、彼は静かに、けれどもはっきりとした口調で言うとアネッタは唇を噛みしめた。
何が記述がおかしい箇所があるだ。まだ目も通していないではないか。手渡しすらしていない書類が手の中で皺を作る。ただ、それを言い返すだけの権利が手の内には無い。彼女は噛みしめた唇を離して、その場でゆっくりと息を吐き出すようにして感情を沈めると、一礼も無く踵を返して部屋を出たが、気付いた時には書類は握りつぶされていた。
「……カクが……死んだ……」
アネッタは廊下に立ちながら、言葉を何度も呟いた。部屋を出てからも、その事実がまだ彼女の心には浸透していなかったのだ。
カクは彼女の仲間であり、信頼のおける戦友で、幼馴染で。それから、この世で一番大切な人で。その存在が今、突然にして欠落してしまった。それを到底受け止められる筈もなく、彼女の心は抗議し、拒否をした。
最後に彼と会ったのは昨日の夜だった。彼は朝早くに此処を発つのだと言っていて、見送りに行くよと伝えたが「そんなことはいいから、しっかり眠っておれ。というか寝坊助なお前が一人で起きられるようには思えんのう」と笑いながら、鼻を摘まんできたっけ。あの時は結構な力で鼻を摘ままれたものだから、「痛い!」と怒ってしまったけれど、もう痛みも、感触も残っていない。
「アネッタ!おい、お前大丈夫かよ」
暫くして、廊下で呆然と突っ立っているアネッタに声を掛けたのは、ジャブラであった。彼は肩を掴むと、珍しくも心配を露わに未だ理解を追い付かぬ様子のアネッタの顔を覗き込んだが、彼の存在がアネッタの中で一筋の光となる。
そうだ、ジャブラが来たということは。
「……そうだよね」
「あ?」
「違うよね、……あぁ、よかった、もう、ジャブラ、今回のはタチが悪すぎるよ!」
「は?」
「…だ、ってそうでしょ?ジャブラが、ジャブラが私のところにくるなんて、嘘、なんだよね?」
だってジャブラはいつだって嘘つきだ。彼の嘘には子供のころから随分と泣かされたし、彼だって騙される方が悪いといつも言っていた。だからきっと、今回も嘘なんだ。そう思ったのに目の前のジャブラときたら、まるで化け物でも見たような顔で三白眼を揺らす。
加えて、それから続く言葉はいつもの豪快な笑いでもなく、茶化すような言葉でもなく、静かな否定であった。
「………、………違ぇよ。」
「あ…!そうだよね、嘘だよ──」
「違ぇ、アイツは死んだ。」
ジャブラは言葉を遮って言う。いい加減気付けと言うような、そんなはっきりと断定した物言いであった。アネッタは途端に瞳を大きく揺らし、涙を瞳いっぱいに貯め込むと、怯えと不安が入り混じった表情で彼を見つめる。
けれど、ジャブラの顔には嘘や冗談が見当たらず、彼の表情は一瞬たりとも揺るがなかった。
「どうして…?」
アネッタは言葉を詰まらせながら尋ねた。
「なんでそんなことになったの…?……そんな……カクが死ぬなんて…嘘だよ……」
「おれはよ、……おれはただ、お前が大丈夫かと……」
「……っ、……、っだって、そんな……、…っだって、いつもジャブラは嘘つくじゃない!いつも私に嘘をついてからかって……っ、だか、だから……っ」
「アネッタ」
「……っ、わ、悪いけど私はその手には引っかからないから!!」
「ッアネッタ!おい、馬鹿……っ、どこへ行く気だ!!」
震える声で言って、アネッタは制止も聞かずに踵を返す。咄嗟にジャブラは腕を掴んだが、アネッタはそれを振り払いながら、怒りと悲しみが入り混じった感情を叫んだ。
「ッこんな自由もない場所で…カクが居なかったら生きてる意味なんてないじゃない!!」
それは酷い癇癪じみた八つ当たりであった。無論、酷い八つ当たりだと言う事は重々理解している。それでもこの胸にあるものを吐き出さなければ、胸が押しつぶされてどうにかなってしまいそうであった。
手を振り払われたジャブラは醜いそれを受け表情を歪ませたが、かといって今此処で言いあったところで、お互い感情のぶつけ合いになるだけで落ち着く訳では無いと言う事をよく理解していた。
ジャブラは身勝手に叫ぶだけ叫んで走りゆくアネッタの後ろ姿を見て、息を落とした。
「……テメェばっかりが辛ぇって顔しやがって、馬鹿野郎が…」
アネッタは外に出て、木陰で足を止める。
あり得ない事なのに、何故みんなは簡単に受け入れる事が出来るのだろう。アネッタの心の中には複雑な感情が渦巻いていたが、これだけ悲しみ、混乱しているのに不夜城エニエスロビーの周りには青空が広がり、まるで彼女の感情とは無縁の美しい景色が広がっていた。
「おい、書類を書き直せと指示をした筈だが」
しかし、静寂を求めている最中に、アネッタは予期せぬ声を聞いた。声の主は指令長官室にいた筈のルッチのもので、彼は眉間に皺を寄せて距離を詰める。
しかし、アネッタから答えは返ってこない。当然だ。今この状況で書類仕事なんて出来る筈もない。ただ、普段ならばそう気が長くない筈のルッチもこの日は何を言うわけでもなく、一つ息を吐き出すと、アネッタの腕を掴んでぐいと己の方へと引き寄せた。
「ル……ッ、」
訳がわからない。どうしてまたこんな事を。思わず彼女は身を強張らせたが、胸元に手を置いて彼の体を押した処でそれが離されることはない。
「ル、ッチ?」
「……」
「…あ……」
「……、……」
「……っやだ、や…やめてよルッチ……!そんな、そんな゛らしくないこと゛しないでよ、なんで、そんな……本当にカクが死んだみたいじゃない……っ」
「……、………うるせえ」
「……うぁ……あー……っ!わ゛ぁ゛、あ゛……っ!!」
その瞬間、全てを理解した。
本当に、カクは死んだのだと。
もう、カクはこの世から居なくなってしまったのだと。
また、居なくなってしまった。誰かがいなくなるというこの経験は、二千年と生きる人生の中で、あと何度あるのだろう。人間は竜人族とは違ってほんの僅かにしか生きることが出来ない。けど、けれど、短い人生の中でたった二十年ぽっちで死んでしまうだなんてあんまりではないか。彼は大事に大事に手に残したはずだった。大事にしているつもりだった。でも、それはするりと隙間から零れ落ちてしまった。
カクはもういない。いないのだ。
するりと零れ落ちたカクはもう、私の前にいなくなってしまったんだ。
心が引き裂かれるのとは違う。ぐちゃぐちゃにされるように心が苦しくなって、溢れた涙は止まらずに、声を上げて涙を流すアネッタをルッチは何も言わずにただ胸を貸してくれていた。
そんな時だった。
「…なーにを抱き合っておるんじゃ」
聞きなれた声が聞こえたのは。
そこには、カクが立っていた。
いつもと変わらぬ様子で、帽子だけを失くして。
「……カ、ク……」
「………カク」
ちらりと見上げたルッチの瞳が衝撃を物語る。だが、これこそが目の前で起きていることが夢や幻の類ではないのだと裏付けて、呆然とするアネッタに向けて、カクは穏やかに呟いた。
「………ただいま、アネッタ」
「……ッ、カク、……カクッ!!」
「お、わっ!!」
その瞬間、アネッタは駆け出して勢いよくカクの胸に飛び込んだ。感情のままに飛び込んだせいでカクは後ろに倒れ込んだが、アネッタにはなんだってよかった。アネッタは子供のように力いっぱい抱きしめると、涙を流しながらわんわんと声をあげた。
「わあ、あ……っよ゛か、…っ生゛きてた、ァ……っ!カクが、カクが死゛ん゛じゃったって…っ!!」
「あぁ、わしの死亡説が流れておったらしいのう。さっきブルーノたちと会ったが、幽霊でも見たような顔をしておったわい」
「焼、死体と一緒に、カクの帽、子が……っ」
「あぁ、帽子はわしのものじゃが……すまんのう、お前から貰ったものを駄目にしてしもうた」
「生き、……て……」
「なんじゃまだ疑っておるのか?ほれ、足だってちゃんとあるじゃろう。」
そう言って足をぷらぷらと揺らして見せるカク。彼の足元は確かに爆発を受けたのだろう。焦げて布面積が少なくなって、いつもは隠れて見えない足首が露わになっている。
「わ、ああ、あ゛ああ……っ」
「わはは、」
「……ばかぁぁ……っ!」
「……ふ、情緒大爆発じゃのう。なんじゃ、生きていて嬉しかったんじゃないのか」
「好きな人が生きてたんだもん!!嬉゛し゛い゛に゛決゛ま゛っ゛て゛る゛じ゛ゃ゛な゛い゛!!」
「わははっ、そうかそうか。……しかしのうアネッタ、ちと泣きすぎじゃ。…はは、顔がぐちゃぐちゃじゃのう。」
カクの両手が頬を包んで、親指が次から次へと零れ落ちる涙を拭う。
その手のひらの暖かさが彼が生きていることを何よりも証明している。
「……いつも言っておるじゃろう、わしは死なんと」
「っそ、だけど…っ」
「……いいか、わしは好きな女を置いて死ねるほど、大人じゃないわい」
「は、え、」
「はは……、お前から好きといってきたんじゃろうに」
「だ、って……」
その時、涙を滲ませた目尻へと一度きりのキスが贈られる。理由は分からない、けれど彼は「……ははっ、ぶっさいくじゃのう!」そういってカクは悪戯に笑うと「お前を残しては死ねんのう!」と機嫌よく言葉を紡いだ。
しかし、いまは何をしてくれたってアネッタの涙は止まらなかった。まるでグラスいっぱいに水をためて、一気にひっくり返したみたいに、涙があふれて止まらなかったのだ。
大人にもなって子供のようにぼろぼろと泣く彼女の姿はもしかしたら、いいや、きっと滑稽だったと思う。無様だったとも思う。それでもカクが生きていた。カクが前にいる。大きな傷もなく、いつもの笑みを携えて。
それがたまらなく嬉しくて、愛おしくて、アネッタはいつまでたっても彼の胸元でわんわんと泣き続けていたが、カクもまたそれに嫌な顔一つ見せずに「お前は本当に泣き虫じゃのう」と穏やかに笑っていた。