どうやらユディト、それにヨセフが死んだらしいな。
ワノ国へと発った同僚が消息不明になったと知ったのは、ムクドリの夜泣きが始まった時の事。お茶菓子の代わりに出されたスパンダムの話題はやけに曖昧で不確かだが、少し離れた位置に座るステューシーは笑みを携えたまま静かである。恐らく、証拠が不確かなだけで死亡の線が濃いのだろう。アネッタは「顔色が悪いわよ」と指摘を受けて、揺れる黄金色の水面を見て飲み干したが、お高い紅茶の味はやけにぼやけていて、味わう事なんて出来やしなかった。
世界政府諜報機関サイファーポール”イージス”ゼロのユディト。ユディトと言えば、組織の中でも謎の多い人物であった。つばが広く花飾りのついたキャペリンハットに、任務のたびに変わる地毛ではなさそうな外跳ねの髪の毛。キャペリンハットが作った影から覗く仮面には生気が無く、表情を語らない。加えて、華奢な体を覆う白いスーツと、厚みのあるコートは彼女の露出を極端に減らしており、頭から足の爪先までを隠した彼女は、なんだか糸に繋がれたマリオネットのようだった。
なんせ彼女はお世辞にも社交的では無かった。気を許したのはゲルニカやマハ、ヨセフ、ジスモンダのたった四人だけで、彼らはなぜ彼女に許されたのだろうと思っていたが、ついぞそれは語られず、未完で終わりを告げようとは。
「同じ部屋で寝たい?……私の素顔を見ないと約束するならいいわよ」
そういえば、顔を見ない事を条件に同室が許されたあの日は、あまりの嬉しさから一方的にお喋りを続けた結果、最速記録を叩きだして追い出されたっけ。あの時はヨセフから首根っこを掴まれて、さらには追い出し先のカクからもあまり面倒なことをしてくれるなと叱られて大変だった。あまり遠くない記憶であるからこそ、余計に焦燥感が拭えない。ユディトさんと、ヨセフが死んだ?そんなバカな。彼女たちは自分たちよりもずっと歴の長い構成員なのに。アネッタは、どうにも信じる事が出来なかったのだ。
しかし、その一方で長年CP9の司令長官を務めていたスパンダムが確証の無い噂を口にするようにも思えない。
彼女はユディトの部屋で立ち止まると遺品を期待して扉を開き、その先にある光景に瞳を揺らした。
「……何も、無い……」
そこは、何も置かれていないただの空き部屋であった。元々誰かが此処を使っていたような痕跡は一つも無い。まるで元から空き部屋だったような、そんなぽっかりと開けた空間の違和感は酷く、室内に溜まった空気だけが外へと駆け出して、慰めるように頬を撫で、記憶にある軟膏薬の匂いが鼻を霞めた。
「何を探しとるんじゃ、アネッタ」
その時、その匂いを散らすように手を引かれて振り返る。アネッタは動揺にもう一度瞳を揺らしたが、嘘が通用する相手ではない。彼女は詰まらせた息を吐き出して、視線の先に立つカクを見た。
「……ユディトさんの遺品を何か一つでも貰えたらと思って」
「……はて、ユディトの遺品……一体何を言っておるのか理解出来んのう。ユディトなんて構成員も、初めからおらんかったじゃろう」
夢の話か?と尋ねるカクが緩く首を傾げながらそれらしい笑みを作る。しかし、その瞳は一切笑っておらず手首を掴む手には恐ろしいほどの力が籠っている。まるで、これ以上の愚行はやめろと語るような。アネッタはたまらず息をヒュウと飲んで言葉を詰まらせると、手を引かれるがまま歩き出した。
「ジスモンダ、ユディトさんは本当に死んじゃったの?」
それから、ジスモンダを捕まえて白い布を引いたのは数時間後のこと。カクが離席した隙を見て抜け出せたが、恐らく時間は残っていない筈。彼女は足を止めるジスモンダを見上げると、彼の反応も待たずに藪から棒に尋ねると、彼は無機質な仮面のまま此方を見下ろして、少しの猶予も無く返した。
「そんなヤツはCP0には居ない」
「……嘘、ユディトさんはいたじゃない」
「……」
想定通りの反応ではあるが、拒絶も無く思案の沈黙が流れた事は喜ぶべきか。「ジスモンダ、私は知りたいだけなの」「でも、みんなは教えてくれないから」交渉術は元々苦手だったが、これほどまでに交渉術が上手であればと願った事は無い。反応を窺うにも黒塗りの仮面は表情を語らない。だからアネッタには情に訴え、畳みかけるしか方法が残されていなかったが、ジスモンダはゆらりと全身を覆った白布を揺らめかせると、静かに、けれども厳粛に言った。
「……いいか、アネッタ。もう二度と、人目がある場所でその話はするな」
ひやりと、頬にかかる白布が冷たい。上から覗き込む大きな体が生み出す影は彼女の体を飲み込んで、直接的な威圧を向けるが、到底納得は出来ない。アネッタは後退り、動揺に揺れる瞳を誤魔化すよう睫毛を伏せると、ぎこちなく言葉を続けた。
「っどうして、だって、ユディトさんは」
「……アネッタ」
「……でも」
「アネッタ」
「……ッでも!ユディトさんは!」
「……、……せめて、彼女がいたことを覚えていてくれ」
「え……」
「……CPの構成員は立場上、死ねばすべての痕跡を消される事になっている。人が本当に死ぬのは、みなから忘れられた時だと言うが……その通りだと思う。だが、お前が覚えているだけで、ただそれだけでユディトが……我々が生きていた証になる」
サイファーポールは、いくら功績を上げたところで歴史に名を刻むことは出来ない。それは世界の裏を暗躍する諜報機関であるからだ。だから褒め称えられたところで、それはせいぜい世界政府という小さな世界での話。今回のようにひとが一人死んだところで功績が語られる事はなく、なんとなく、ジスモンダの言う事はその通りだと思えた。
「ジスモンダ。……私は、竜人族は、長命族と言われていて二千年くらい生きるんだって」
「……そうか」
「だから、ずっと、ずっと覚えてるね。ユディトさんのことも、みんなのことも」
空に向かってもくもくと伸びる白煙を見る。白煙の根本は、位置を考えるに焼却炉の方向だろうか。真っ直ぐに伸びるそれは濁りの無い白色で、「あーあ、もっとお喋りすればよかったな」と言ってみたけれど、ジスモンダは何も返さずに、白煙を眺め続けていた。