どうしても食べたいときって、あるじゃないですか。
例えば話のなかで話題にあがった食べ物とか、テレビで見たいま流行りの食べ物とか。きょう目にしたのは大食い動画であったキムチチゲラーメンで、見るからに辛そうなラーメンを苦悶の表情で啜る投稿者を見ていると、あそこまで辛くは無くて良いけれどどうしても食べたくなった。
そんなわけで大事なお小遣いを手にして施設を出たのは消灯前の時間帯。行先は近場にあるスーパーで、そこでキムチチゲのカップラーメンと追いトッピング用で半額になった豚肉とキムチを買いこんで、ムフフと笑いながら帰っていたのだが……その喜びはすぐに消える事になった。
「なんじゃあ、随分と機嫌がよさそうじゃのうチビ助」
振り返ると、其処には月明かりを遮るようにして立つサングラスの男が立っていた。年齢は四十代、いいや五十代だろうか。ストライプ柄のシャツに重厚なダークグレーのスーツを合わせ、さらにその上からトレンチコートを羽織っている。風になびくコートとその鋭い雰囲気は、極道そのものといった印象だが……これで警察だと言うのだからタチが悪いと言うか、なんというか。
アネッタはその声を聴いて背を正す。それから必死にエヘエヘと笑って、袋を後ろに隠しながら猫撫で声で言った。
「てっ……テンセイさんじゃないですかぁ。お、お早いお帰りですね……?」
「おう、今日は特に問題もなかったからのオ、久しぶりに早う帰ることが出来たんじゃが……不思議なもんじゃのう、二十一時も過ぎとるのに高校生が出歩いとるとは」
「え、あっ、え、ええと……で、でも補導の時間って二十三時じゃ……」
「ありゃあ、あくまで基本の話じゃ馬鹿たれ。補導っちゅうんは警察の判断でそれよりも早い時間帯にしてもえいという事になっとる」
「そんなぁ……」
「全く不良娘になるとはのう……ほれ、一体なにをしとったんじゃ」
養護施設で暮らすアネッタと、警察のテンセイは何かと縁がある。始まりは施設行事でテンセイが訪れて数時間ほど遊んでくれた事から始まるのだが……まさか十年たってもあだ名が変わらず、縁も続くとは思いもしなかった。変に性格面を把握されている事から誤魔化す事も出来ないし、何より逆らって本当に補導されるのは困る。
アネッタは泣く泣くスーパーの袋を出すと、眉を顰めるテンセイは中身を見るや否やブハッと息を吐き出すようにして笑い、く、く、く、と肩を揺らした
「そうかそうか、なんじゃ随分とくたびれたサラリーマンみたいなものを買っとるのう」
……ああ、これだからおじさんは!
「だからテンセイさんに見せたくなかったの!」
別にいいじゃない女子高生が夜にラーメン食べたって!アネッタは顔を赤く染めながら返された袋を力いっぱい握りしめると、普段よりも素っ気なく呟いた。
「ほら、これで変に遊び歩いてるわけじゃないってわかったでしょ?もう帰っていいよね」
すると、テンセイはからからと笑いながら「ああ、悪さもしてねえのなら補導も出来ねえわな」とそう零すが……視界の端になにか蠢く影を捉えた。テンセイはピタリと言葉を止めた後、遠くを見る。
「……そう言えば、いつもの帽子を被った坊主はどうした」
「カクのこと?今日はいないよ、ひとりで来たの」
「ほうか」
なにか、言葉のトーンが落ちたような。呟いた後のテンセイはどこか遠くをみたあと肩に手を置いて「補導代わりに送ろうかのう」と零した。
「え゛……っ」
しかし、彼女の反応は渋い。
その何とも言えない反応に、テンセイはカラカラと笑った。
「なんじゃ、不満そうにしおってからに」
「だあって……テンセイさんに補導されたみたいになっちゃう……」
「ならんならん、施設まで訪ねるつもりはない。……あくまで近くまで送るだけじゃ」
「本当?」
「おお」
「……じゃあお言葉に甘えて……」
まぁ、確かにこのあたりは暗い。街灯はいくつかあるけれど、そのうちいくつかは電灯が切れかけていて頼りないし、何よりも家の数が少ない。けれど、それよりも何か外を気にするようなテンセイの視線が気になって仕方が無い。しかし、彼の視線を辿ってもとくに気になるようなものは見えないし、一体何が気になっているのだろう。尋ねると、彼の反応は曖昧であった。
「いいや、この辺りは躾のなってねェ猫が多くてのう」
曖昧に濁した言葉を聞くに、それ以上手の内を明かすつもりはないのだろう。彼はコロリと場の雰囲気を変えるように白い歯を見せて笑い「それよりも、最近テストがあったんじゃろ」と話題を変えると、アネッタは顔を顰めて「お父さんじゃないんだからそういう話題やめましょうよぉ……」と力なく零した。