朝起きたら、自分が幼女になっているという状況に気付いた。身体が小さくなり、手足も細くなって手のひらなんて紅葉のように小さくなっている。幼い子供が着るには大きすぎるパジャマをずるずると引きずって、サイドテーブルに置いた鏡を見ると、そこにはなんだか見慣れたような、見慣れないような、可愛らしい顔の女の子が此方を見ていた。
驚きと戸惑いで頭が混乱する。何が起こったのかちっとも理解できない。
「なん…え?……からだがちいさく、……あれ?」
戸惑った声は幼く高い。考えたところで一体どうすればよいかも分からず、助けを求めるにも今日に限ってカクは任務に出て帰ってきていない。こんな時、カクはなんて言うだろう。暫くううん、ううん、と頭を抱えて考えてみたが、取り合えず誰かに助けを求めろと言う気がする。一度は電々虫に伸ばした手を下ろした私は、ずるずると大きすぎるパジャマを引きずって歩き出す。特に目的地は決まっていないけれど、ひとまずCP9のみんなのもとへ行ったら一人ぐらいは助けてくれるだろう。
まぁ、若干は助けてくれたらいいなという願望が入っていた気もするが、パジャマを引きずって裸足で歩いた地面は冷たい。なんせこのエニエスロビーは石造りだ。カーペットなんて気の利いたものは敷かれておらず、ひんやりとした地面を歩くと、なんとなく足が痛い。恐らくは此処を歩く者の靴底から落ちた小石や砂利のせいだと思うのだが、こんなことならサイズが大きくても靴を履いてくればよかった後悔が募る。
「あん?なんでこんなところにガキが……」
その時だった。少し離れた位置で柄の悪い声が聞こえて顔を上げた私は「ジャブラ!」といつもよりも下ったらずな言葉を返す。それからばふ、と音を立てる程度のスピードで抱き着きにいくと、ジャブラは特に嫌がる様子は見せずに私を見る。代わりに首根っこを掴むと持ち上げて、こわ~い悪人面を此方に近付けながら「なんだ、お前アネッタか?」と問いかける。うーん、さすがはCP9。話が早くて助かる。
「はーい」
「はーいじゃねえよ、お前どうしたその姿は」
「おきたらこうなってた」
「あぁ?カクはどうした」
「カクはおしごと」
「あー……なるほど」
「それでねぇ、たすけをもとめてへやを出たってかんじ」
「そうかよ。ご苦労なこった」
そんなわけでたすけてくれる?そんなことを言いながら、子供らしくたっぷり愛嬌のある顔で両手を広げる。ついでに催促も兼ねてくいくいと両手を動かすと、ジャブラはそれはもう嫌そうな顔をしていたが、かといって子供を置き去りにするほど鬼ではないらしい。相変わらず嫌そうな顔だったし、体の中にある酸素を全部出すのかってくらい深いため息を吐きだしていたが、最後は諦めたように私を片手で抱きかかえるようにして持ち直しては「今日だけだからな」と呟いていた。
「んふふ、ありがとう」
ジャブラの逞しい腕が、椅子替わりとなって私の尻を支える。なるほど、これが二百十二センチの世界か。いつもと見える世界が少し違ったように見えて、足をぷらぷらと動かして何処へ行くのかと尋ねると、ジャブラは「託児所」と零す。はて、このエニエスロビーに託児所だなんてあっただろうか。もしかして、彼の自然豊かな部屋のことを指しているのだろうか。だとすれば今日はあのちゅんと鳴く鶏と遊んでも良いかもしれない。そんなことを考えていたのだが、行く先はどうみてもジャブラの部屋とは間反対だ。なんだか物凄く嫌な予感がして、私は彼の服を掴んだけれど、ジャブラは此方を一瞥するだけで足を進めて、結局門番のいる部屋の前に辿り着くと「あ、此処は…」と答えを言い切る前に数度のノックを経て扉を開いた。
「長官、こいつの事を頼みたいんだが」
ああ、やっぱり。
いや、行く方向だとか、部屋の前に立つ憲兵さんで分かっていたけれど。
奥の方で書類に目を通しているスパンダム司令長官は、予定にないジャブラの来訪に顔を上げる。それから抱きかかえられた私を見ると、目を凝らすように瞳を細めた。
「なんだそのガキ……あぁ?お前アネッタか?」
ただ、私は角を持ち、瞳も爬虫類のように縦長の瞳孔で、つまりは結構目立つ容姿をしている。だからスパンダム司令長官もあまり悩む時間も無くそう言い当てると、またお前は面倒なことをと言いたげな顔をしていた。
「……!た、たくじじょっていった…!」
「託児所みたいなもんだろ。おれはこれから仕事があるから、ここで大人しくしてろ」
「できるわけないが…?!」
「それにお前、長官が知らねえってことは報告してねぇんだろ。いいからさっさと報告して大人しくしとけ」
「ヒン……」
そうして、一度頭をぐしゃぐしゃと乱暴に撫でられる代わりに残された私は、一人スパンダム司令長官の前で立ち尽くす。此方を見る長官の視線がとげとげしているからだ。思わず下に視線を落として、自分のパジャマを掴んでいると「おい」と愛想のない声が降ってくる。
特段怒っているようには感じないが、私はどうにも彼が怖くて、一瞬、ほんの一瞬だけ記憶をなくしましたって設定でどうにか出来ないだろうかと考えたが、あとあとばれたら厄介だ。というわけで、嘘をつくことも出来ない臆病者は、いつもどおりCP9のアネッタとして顔を上げた。
「は、はい」
「それで、その姿はなんだ」
「おきたらこうなってました…」
「起きたらぁ?……昨日は外勤じゃねえよな」
トントンと長官の人差し指が机を叩く音が響く。
「え、っと…きのうはないきんで、じむ作ぎょうをしてました」
「……チッ、薬の副作用か…?」
トントントン
トントントン
考える時間が長くなるほど、机を叩く回数は多くなる。単なる彼の癖か、それとも苛立ちの現れか。どれにしたってこの沈黙が耐え切れず、不安からパジャマをぎゅっと握りしめたまま「ごめんなさい」と小さく謝罪を述べると、長官は此方を見て、真っ黒な隈に覆われた瞳を細めた。
「あぁ?」
聞き返す声は、矢張り愛想がない。
「ち、ちいさくなって……?」
「お前がトラブルメイカーなのは今に始まったことじゃねえだろうが。……ただこの後お前をどうするか考えてるだけだ」
「どうするか……?」
その瞬間、一番に頭に浮かんだのは研究所であった。
なんせ竜人族は今だ謎多き民族で、研究所は竜人族の事を知りたがっている。だから体が小さくなったと分かれば、研究所は黙っちゃいない。血液検査に始まり薬物検査まで、ありとあらゆる検査をしてこようとするはずだ。ともすれば、戦力外としてもう此処にはかえって来れない可能性だってある。
なにより、私はあの研究所が嫌いだ。
暗くて、寂しくて、個人ではなく種でしか見ない研究所のことを好きにはなれなかったのだ。
「け、けんきゅうじょ送りだけはかんべんしてください…!」
「ちげぇよ馬鹿!!だから…っガキにゃ戦闘を伴う業務はさせられねぇつってんだ!」
「はえ……」
「どうせ薬の影響なら二、三日で戻るだろ。それをわざわざ研究所に連れて行くのは時間も、それからお前につける護衛の人件費もかかって仕方がねえ。……なら、ある程度は様子見で、お前には別のことをしてもらった方が良いだろ」
「………ちょうかんは、すぐにけんきゅうじょにつれていっちゃうとおもってました」
「あぁ?……まぁ、上からはお前の事で変化があれば連絡するよう言われちゃいるが、その規約に連絡の程度は記載されてねえからな。大体、一々そんなことしてたらトラブルメイカーのお前を此処にゃ置いておけねえだろうが」
どれだけ連絡しなきゃいけなくなると思ってんだ。愛想のない長官の声が響く。けれど彼の言葉がなんだかいつもよりも怖くないように聞こえて、私は「ちょ、ちょうかん……」と言ったけれど、長官はまた面倒くさそうに息を吐き出すと「お前、今日はおれの手伝いをしろよ」と、隣に積み上げられたとんでもない量の書類を叩くのだった。
「なん……え…?……え?」
「馬鹿でもハンコ押しくらいはできるだろ」
「ちょうかんのこときらいになりそう……」
「あぁ?」
「おやすみでもいいのに……」
「その姿で休みにでもしてみろ。絶対に部屋にいるのが退屈だとかいって、エニエスロビー内を走り回るだろ」
「ウッ」
「仕事しろ仕事」
「ああ、本当に小さくなっておるのう……遊びすぎて電池でも切れたか?」
それから時計の短い針がぐるりと半周回った頃。部屋の隅でくしゃくしゃの紙を握りしめてぴーぴーと眠るアネッタを見て呟く。辺りに散らばった沢山の絵や、恐らくは何かを折っていたであろう折り紙たちを見るに遊び疲れて電池切れになったのだろう。
それにしたって、小さな子供が部屋で寝ているというのに上着の一つもかけないなんて。
まぁスパンダムらしいといえばスパンダムらしいか。
「おいカク、そいつが三日経っても戻らないようなら研究所に連れていけ。その間お前は任務から外す」
「三日後…とは随分猶予があるのう」
「コイツを連れて行くにも金も時間も労力もかかんだよ。お前みたいな実力のある働き盛りの人件費はンなことにさきたくねえ」
「お、褒めとるのか?」
「ハ、おれのことを誰だと思ってやがる。上にのし上がるためには仕事のできねえ奴を置いとかねえよ」
おれのために精々働くこったな、といわんばかりに鼻で笑う男に息が落ちる。
まったく素直なんだか、素直じゃないんだかよく分からない。
一度眠ったアネッタはなかなか目覚めない。それは昔から変わらないことだ。だからこうして脇を掴んで多少雑に持ち上げてもアネッタは起きることはなかったし、ぴーぴーと寝息を立てたままだ。ただ、抱き上げた胸の中でうごうごと動いて上着を握りしめる姿はなんだか愛らしくて、ついつい頬が緩んでしまったが「なんかお前……若い父親って感じだな」という言葉にイラっとしたのは言うまでもない。