どうしても人恋しく思い、酒を浴びるように飲んだその日、何故か隣に好きな女が居た。……ははあ、これはまた随分と都合の良い夢を見たものだ。彼女がこんなところに居るわけがない。でも、夢ならば、夢の中でなら自分の想いを告げても許されるのではないだろうか。彼女の頬に手を添えて、腰を抱いて名前を囁く。そんな夢のような“夢”は至福のひと時で、アラームの音と共に目覚めた男は身を起こし、手元にある現実の痕跡に瞬いた。
もしかして、あれは夢ではなかった?
春日
「××ちゃん…………本当にすいませんでしたァァ!!」
夢だと思っていた。夢だからと好きに触れてしまった。会うや否や、公衆の面前にもかかわらず、頭を地面に擦り付けて土下座する一番は、滝のような汗をかいていた。なんせ彼女とは恋人関係にない友人だ。それなのに手を出したなんて聞いたら、あのおやっさんだって酷く自分のことを叱責するはずだ。何より、自分でも最低だと思う。……これはもう嫌われても仕方のない出来事だ。一番は頭を固い地面に擦り付けたまま、あの日のことを語る。
「本当に申し訳ねえことをした……お、俺、あの日××ちゃんがいたのは夢だと思っててよ、それで、すげぇ嬉しいと思っちまって、それで……!」
その言葉は酷く震えていたし、情けなく見えていたと思う。しかし、××は意外な反応を見せた。「一番、あの日に行ってくれた事は嘘だったってこと?」「え?」「……好きだって言ってくれたこと、凄く嬉しかったんだけど」そう呟いたのだ。「あ……、…ッう、う、嘘じゃねえ!それだけは嘘じゃねえ!ただ、俺としてはよ、あんな状況で言うんじゃなくて、もっとこう、しっかりと言いたかったっていうか……!」「……じゃあ、しっかり言ってよ、今此処で」ぎこちない言葉に、普段よりも血色の良い顔。その言葉に一番は顔を上げて、勢いよく立ちあがった。さあ、ラストチャンスだ。
山井
「オイ、××」
都合の良い夢を見た筈が、目覚めたときにアレが現実であったことを示す痕跡があった。手の内に残る自分のものとは異なる髪糸と、キラリと光る真珠のイヤリング。……赤ずきんじゃあるまいし、どうしてこんなもんが。重い腰を上げて探した先で、彼女の肩に腕を回し馴れ馴れしく距離を詰める。それから身を強張らせるのを体で感じながら、彼女側に回した手で胸元をピッと引っ張って、其処に残る痛々しい痕を見た。赤い痕に、噛み痕に。矢張り、あれは夢ではなかったようだ。「××、どうして帰ったんだ」「なんで、って」「寂しいじゃねえかよ」……都合の良い女で良いのなら、元々探す事なんかしなかった。だからつまりはそう、そういう事なのだろう。肩に腕を回したまま、じっとりとした低い声が囁いた。「なぁ、どこへ行こうってんだ。……もうお前は俺のもんだろ?」
趙
「××ちゃん、……ねぇ、××ちゃんてば」
顔を合わせるや否や、踵を返す彼女を追って足早に歩く。確実に彼女は聞こえている筈。なのに足を止めず、カツカツと響くヒールの音は彼女の心情をよく表しているのだろう。……まぁ風で髪が靡いた時に見える耳の色を見る限り、何か怒りだけではないように思えてならないのだが。
「ねぇ、待ってよ××ちゃん」
彼女の手首を掴んで、ひとまず引き留める。それから顔も見ず「離して」と言う彼女を抱き寄せたのは一か八かの大勝負。……意外にも、スッポリと抵抗もなく胸に収まった××は言う。「趙は誰だっていいんでしょう」「そんなことないよ」「でも、昨日したことだって」「……ごめんねぇ、正直初めから終わりまで全て覚えてるわけじゃないし、あのとき××ちゃんに触れたのも夢だと思ってたからなんだけど……しんどい時に××ちゃんがいて凄く嬉しかったんだよねぇ。……××ちゃんがしんどい時に居る、そんな都合の良い話なんてあるわけない、って思ったら夢だと誤認しちゃって」……ごめんね、××ちゃん。謝罪にもなっていないし、あまり弁明にもなっていない。けれども、こればかりは嘘のない本心だ。赤い顔を見て、趙はフと息を漏らすように笑う。「あの日のやり直しをしたいんだけど、もう一回言ってもいい?」最後のチャンスは趙の手に。彼は身体を放して真っ直ぐに××を見た。
難波
「いやぁ、本日は大変お日柄も良く………悪い、いや、……本当に悪かった」
低姿勢から入ったものの、××の冷たい視線が突き刺さり口ごもる。だってまさか、あの日見ていたことが現実だなんて思うわけねえじゃねえか!手の内に残るあの柔らかな感触も、全て現実だった?頭の中では感情が大爆発しているのに、それをうまく吐き出せないのは、実際問題として恋人でもない彼女に手を出してしまったからだろう。「どうだった?」「え?」唐突な質問。難波は聞き返す。「……だから、謝るほど嫌だったってこと?」いじけているような、悲しんでいるような。その複雑な色を乗せた声に難波は瞬くと思わず彼女の手を掴んで、強く握りしめながら言った。
「違う、そういうわけじゃねえ。寧ろ俺がお前によ、その……嫌なことをしちまったんじゃないかって。……自分に都合の良すぎる内容で、全部夢だと思っちまったんだよ」
どこまで明け透けに話して良いか分からない。しかし、此処で隠し事をする事がご法度である事だけは分かる。難波は言葉を詰まらせながら謝罪を向けると、真っ直ぐ見つめたまま尋ねた。
「過ぎた事をやり直す事が出来ねえってことは分かってる。だからよ、今、言ってもいいか」