年越しそばを食べようか

 年越し蕎麦でも食べに行こうか。
 誘われたのは、年越し前の少しだけ眠くなってきた頃合い。年越しなんて気にせずに寝ても良いとは言われていたが、妖の国では初めての年越しだ。折角なら起きた状態で年を越したい。それを尊重する烏天狗・カクの誘いはありがたく、しっかりと着込む事で町へと繰り出すと、年越しを待ち望む人影は無く寂しい風が吹いていた。

「おおつごもりともなると人が少ないのう……」
「おおつごもり?」
「あー……っと、おおみそかと言えば分かるか?」
「あ、それなら分かる!でも、大晦日って人が少ないんだねぇ……」

 やっぱり、みんなもおうちでゆっくりしてるのかな。アネッタが尋ねると、カクが瞬く。それから視線を前に向けた彼は、手にした錫杖をリンと鳴らしながら灯りのついていない長屋を指した。

「そうか、現代では家に籠って家族団欒を楽しむ者が多かったか。……大晦日は一日千金という言葉があるんじゃが、大晦日というのは一年間の収支決算を迫られる日でのう」
「……つまり?」
「家に借金取りが来る」
「ああ……」

 カク曰く、借金取りが迫るなか、この日をどう切りぬけるかは町人にとって死活問題であった。あの家のように明かりを消して居留守をする家があれば、わざと借金取りに喧嘩を仕掛けて時間を稼ぐものも居る。ともすれば今こうして年越しそばを食べに出たのは、贅沢なのではないかと思えてチラリとカクを見上げると、彼は眉間に皺を寄せて言った。

「なんじゃその顔は。わしは借金なんてしとらんぞ」
「大丈夫、そのあたり心配はしてないよ」
「ならええが……。……まぁ、そんなわけで蕎麦屋もいくらか余裕があるじゃろ」
「いいのか、悪いのか……」

 蕎麦と言えば、妖狐のサッチが営む蕎麦屋・白吉の右に出る店はいない。よって年越しに向けて、もう売り切れているのではないかと気を揉んでいたが、その心配はどうやら杞憂だったようだ。
 そんなことを考えていた時、不意に錫杖の音にも似た鈴の音がどこからか聞こえた。袖を引かれるように視線を前へ向けると、そこには一軒の屋台蕎麦屋が佇んでいる。……もしかして、今日はあの蕎麦屋にするつもりなのだろうか。

「ねぇ、もしかして今日はあそこのお蕎麦屋さんで食べるの?」

 屋台蕎麦屋は、辺りに木椅子を出している割に明かりも無くよく目立つ。アネッタがそちらを指した瞬間、突然隣を歩いていたカクの黒翼が大きく開いて肩を抱く。わけもわからず見上げると、彼は気難しい顔で息を吐き出した。

「行ってはならんぞ。あれは燈無蕎麦あかりなしそばじゃ」
「燈無蕎麦?……あ、でも確かに灯りが無いね」
「あぁ、あれに近付くと不幸になると言う伝えがあってのう……全く、年末に趣味が悪いことをしてくれるわい」

 しかし、言いながらもカクはあれを祓おうとはしなかった。むしろ肩を抱いた黒翼に力を込める様子に「祓わないの?」と尋ねたのは、彼の職務を考えればごく自然のことだと思うのだが……彼はなんだか面倒臭そうな顔をしている。

「わし、休みじゃし」
「でも、悪い妖なんでしょう?」
「…………」

 カクは思う。これだから子供は。世界を救う英雄だって休みは必要なのだ。妖統治組織の表面しか知らない彼女はそれが分かっていないようで不思議そうにしていたが、彼女はテコでも動かなそうだ。今日ばかりは自分が烏天狗であることを恨みながらも息を吐き出すと、此処から動かないようにと釘を刺してから手にした錫杖を回して経を唱える。彼が唱え始めるとそれに応えるように錫杖が淡い光を纏い始めて、アネッタは綺麗だと思ったものの……案外妖退治というのは体力仕事なのかもしれない。
 錫杖で屋台の四隅を叩き、最後に屋根を叩いてやると「ギャッ」と鳴いたかと思うと屋台が一匹の狸へと変わる。耳を垂らすその狸は烏天狗を迷惑そうに見ており、一度は牙を見せて唸ったが妖である以上、そのヒエラルキーの上にいる烏天狗には逆らえなかった。カクが笑みもなく錫杖でドンと地面を叩くと、尻尾を巻いて逃げていく。

「……全く、手間をかけさせおって」

 此方へきてもいいぞと言われて近付くと、着物を整えるような動きに合わせて大きく翼が動いて肩を抱く。そういえば、こうやって肩を抱かれることが多い気がする。それが守るためなのか、単なる甘え行動の一つか、それともどちらもか。分からないけれど、今度は自分から身を寄せて頭を預けてみるとカクは此方を見下ろして、少しくすぐったそうに笑った。

「お疲れ様、カク」
「……ん、……おお」
「ふふ、カクがお仕事してるところってなんか面白いね」
「おもしろ……」
「だって、なんか先生と生徒って感じだったよ。こら!って」

 そんな他愛もない話も、静かな町の中では下駄音と共にカランコロンと楽しく響く。やがて辿り着いた蕎麦屋・白吉ではいつものようにサッチが出迎えてくれて、お手製の年越しお蕎麦を頂いたがやっぱり此処で正解だ。ツルツルと蕎麦を啜っていると、サッチは妖狐の尻尾を揺らしながら声を弾ませた。

「嬉しいなぁ、年越しそばにうちを選んでくれるなんて」
「サッチ、そいつはさっきほかの屋台蕎麦を食おうとしとったぞ」
「えぇ?!おいおい、そりゃないぜ!」
「ちが……っ!ちょ、カク!嘘言わないでよ!」

 気付けば、年が明けていた。年が明けたんだか、明けてないんだか。いつも通りすぎて年が明けた感覚はまったく無かったけれども、帰り際にいわれた「今年もよろしくな!」という声掛けが特別うれしく感じて、アネッタはカクと一緒に手を振って帰路についた。