良い日

「カクー」
「んー」
「カクってば」
「んー」
「カークー聞いてんのー?」
「んー」
「聞いてないでしょ」
「んー。おぉー」
「……ねえカクってば!」

〇〇がわしを呼んでいることは分かっていた。
しかし丁度読んでいた本が良い場面で、のめり込む様に読んでいたこともあり、〇〇の言葉はただの呪文となって右から左に流れて通り過ぎ去ってゆく。そうして何度目かの呼びかけが続いた後、いよいよ引き剥がされるようにして本の世界に向いていた意識が〇〇の声で引き戻された。

ついでに下腹部に重みを感じて視線を上げると、目の前に〇〇の顔があったものだから、静かに喉が震わせたわしは手に持っていた本をばさりと落とした

。ああ、栞を挟んでいないというのに。

いやしかし、そんな栞よりも、なぜ〇〇は、よりにもよってわしの下腹部に跨って腰を下ろしているのか。

「ねえ、聞いてってば」
「〜〜っちょ、…な、なんじゃ!上に乗るな!」

ずいと顔を近付ける〇〇。動揺に喉がひくりと笑うが、彼女を振り落とすわけにもいかずに抗議をしてみたが、彼女は眉間に皺を寄せては「5回も呼んだのに生返事したのはカクじゃない。」と言いながら唇を尖らせた。

「だからといって上に乗る馬鹿がおるか」
「へへん、ここにいますけどぉ?」

とすとすと軽く尻を上げて下げてを繰り返しながら意地悪く口角を吊り上げる〇〇。此処までやっておいて意味など分かっていないのだから腹立たしいもので、理性と欲望が天秤の上でぐらぐらと揺れる。ひとまず彼女の肩を掴んではそのまま後ろに押し倒して、わけもわかっていない彼女を見下ろしながらわき腹を思い切り擽ってやった。

「あひ、…ふふっ、あははははっ、んふふふふ…っふふっ、は、ひ、カクごめ、…っひい、…ごめんってば…っ!!」
「ん~~?聞こえんのォ~?」
「うふ、ふふふっ、あ、ひっ…んんん、ごめ…っカクごめんって…っあはははははっ!!」

降参降参!とわしの腕をばしばしと叩きながら身を捩らせる〇〇の顔は段々と真っ赤な顔になっていくので仕方なしに手を離してやれば、〇〇は真っ赤な顔で瞳には涙を溜めて肩で息をするので、思わず息を飲んだ。しまった、此方の方がよっぽど――。

「はぁ…っはぁ……っ……お、鬼か……ッ」
「鬼はどっちじゃ」
「意味、わかんないんだけど…っ」
「じゃろうなぁ。それで?わしに用か?」

ため息を吐いてから改めて彼女に向けて問いかける。〇〇はわしの擽りの一件で用件が飛んでいたようで、息を整えると思い出したとばかりに手を打った。

「……あ、そうだった。というかこんなことしてる場合じゃないのよ。あのね、先生から手土産用の菓子折りを買ってこいって言われて一緒にいかない?」
「別に構わんが、五分待ってくれ。着替えてくる。」
「んえ?別にそれでよくない?」
「……また擽られたいようじゃのう。」
「わーー!!ごめんごめん!!五分でも十分でも待たせていただきます!!」

菓子折り購入のためにやってきたのは、古い伝統講法の建物で営む和菓子屋で、横開きの戸をあけるとからからからと小気味よい音が響く。室内は冷房が効いているのかひんやりと涼しく、入ってすぐのショーケースの中には練り切りから団子、果てはカステラまで様々な種類の和菓子が並んでいるのだが、肝心の店員の姿が見当たらない。

「誰もおらんのう」
「奥で休憩してるんじゃないかな。…すみませーん。」

言いながら早速実行とばかりに暖簾がかかっている廊下の方へと声をかけると、少しばかり遠くから「はーいー」と声がかえってきて、それから十秒ほど遅れて奥からふくよかな女性がやってきてにっこりと笑んだ。

「いらっしゃい、って…おや○○ちゃんじゃないか!暑いのによくきたねぇ。」
「えへへ、こんにちは!」
「それと隣は……あれ、もしかしてあなたカクくんじゃない?」
「え?」

此処にやってきた事は初めてだと記憶しているのだが、女性はわしのことを知っているような、そんな口ぶりで、目を瞬かせていると隣に立つ〇〇がわしと女性の顔を交互に見たあとに「ん?ああ。そっか、まだカク来た事なかった?」と首を傾げた。

「そうじゃのう。」
「ありゃ、そうでしたか。あのね、おばさんのご明察の通りこの大きいのが前に話してたカクだよ。」
「ああ、やっぱりそうなのね!カクくん、はじめまして。わたしはこの和菓子屋の女将、ロクメイと言うの。あなたのことは〇〇ちゃんから色々聞いてるわ」

改めて〇〇の口からわしのことを紹介すると、ロクメイさんはこちらが挨拶するよりも前に、両手を胸の前で合わせて何やら嬉しそうに笑むので、こちらも一応愛想よく帽子を脱いでから頭を下げてみたのだが、最後の言葉が引っかかって思わず隣の〇〇をじとりと見た。

「ロクメイさんがわしの事を覚えるほど、一体何を話したんじゃ○○。」

その言葉に「ぎくっ」とわざとらしく零す〇〇。目線を合わせようとしない〇〇をじいと見つめていたが、その様子をみたロクメイさんは快活に笑った。

「あはは、話には聞いていたけどあなたたち本当に仲がいいのねぇ。話っていっても悪いものじゃないのよ。うちに菓子折りを買いにきてはカクが好きだからっていって自分のお小遣いからカステラ買ったり、カクがおいしそうにたべてたよーとか、カクくんと普段話してることを教えてくれるのよ。ふふ、〇〇ちゃんったらいつも楽しそうにあなたの話をしてくれてるから、いつかあたしも会ってみたいと思ってたのよ〜いやぁこんなにスラッとしたイケメンさんだったなんてねぇ」

瞼を瞑ってしみじみとした様子で語られるそれは全て聞いたことのない話ばかりで、わしは知らぬうちに瞼を瞬かせていたのだろう。ロクメイさんがわしの顔を見てふふっと小さく笑った。
確かに菓子折りを買って帰った日には必ず包装された一切れのカステラを貰うことが多かったが、〇〇は貰ったといっていた。ましてや出先でわしの話をしているだなんて。初めて知ったロクメイさんからの話にじわじわと胸が熱くなるのを感じたのだが、〇〇は想定以上に話されてしまったのだろう。顔を真っ赤にしながらロクメイさんに「お、おばちゃん……!」といって「あらやだ私ったら話しすぎたかしら」と笑われていた。

「いやぁ、初めてきいたのう。わしのおらんところでそんな話をしとるとは」
「ふふ、もっと聞きたい?」
「〜〜っもうっ、おばちゃん!手土産用の菓子折りが欲しいんですけど水ようかんください!!」
「あいよ。カクくんがすきなカステラはどうする?」
「今日はいいです!!!!!!!」

にまにまと笑うロクメイさんに、ぎゃんと〇〇が吠えた。

無事に菓子折りの購入が出来たわしらは横並びに並んで歩く。外は相変わらず蒸し暑く、容赦なく照りつける日差しにより和菓子屋で冷えたはずの体温は上がっていき、着替えたばかりの服には汗が滲んだが、その不愉快さを忘れるほどの出来事にわしの機嫌は下がる事はなく続く。

「いやー、今日はいい日じゃのう」
「いい日じゃない!」
「いーやいい日じゃ!」

好きな女がわしの預かり知らぬところでわしの話ばかりしてるのだ。いい日じゃないわけがない。暑いんだか恥ずかしいんだか、耳まで赤く染める幼馴染を見て、もしかしたらと期待をしてしまったのは秘密だ。