「あちゃー…雨降ってきちゃったかぁ。…いやぁ朝一でパンを買いにいって正解だったなぁ。」
時刻は午前九時。キッチンで朝食の準備をしていると、ざあっという雨の音が耳に入ってキッチンにある大きな窓へと視線を向けると、灰色の雲が敷き詰められた空からこまかい雨が降っていて、私はひとり、ホッと安堵の息を落とすのだ。
朝食にはパン屋で買ってきたパンと、それから簡単なミニトマトと葉物のサラダに、目玉焼きにベーコンだ。そういえばワノ国の朝ごはんは品数も多く、随分と豪華と聞くけれど朝から張り切って大変ではないのだろうか。マグカップに珈琲をとぽとぽと入れながらそんなどうでも良いことを考えるのだが、考えたところで私には到底真似が出来そうにないので頭を振るう。
とぽとぽとぽ。とぽとぽとぽ。しかしながらマグカップに珈琲がいっぱいになっても、あれ、もしかして私が作る朝ごはんって品数が少ないんじゃ。とか、カクももう少し品数があった方が喜ぶのでは。とか、物凄くどうでも良いことが気になってしまい、私はコーヒーポットをコンロの上に置くと、キッチン横に置いてあったカゴから林檎を手に取った。
「んん……すまん、寝すぎた気がするのう……。」
「おはよ、健康的でいいんじゃないの」
そうして林檎の皮を剥いて、切り終えた頃。眠たげに、のそのそと腹を搔きながら歩いてきた彼が、私の体を背後からぎゅうと抱きしめるので、「林檎どーぞ」と言いながら切ったばかりの林檎を彼の口元にやれば、彼はそれはそれは眠そうな顔をしていたがぱくりと頬張って、そのまま咀嚼を繰り返す。まるで餌付けのようだと思ったが、しょりしょりと彼の食べる音がなんとも心地よくて、面倒でも切って良かったなぁと頬が緩む。
一旦腹の方に回された腕を剥がして、その場で半回転して彼の方へと振り返ってから彼を真似るようにぎゅうと抱きしめて「おはよう、カク」と笑む。カクも相変わらず眠たそうではあったが、目元を細めると
「おはよう、〇〇」とそう零して、私たちの朝は始まった。
「さてと、とりあえず朝ごはん食べようか。ほら、カクは珈琲持って行って。」
「ん。」
「あ、眠いからって落とさないでね。」
「わはは、〇〇じゃあるまいし落とすわけなかろう。」
「お?喧嘩か??」
喧嘩なら受けてたちますけどぉ?と彼に向けて呟くと、カクは「わはは、怖い怖い。恐ろしい奴じゃ!」と機嫌よく言葉を弾ませながら二つのマグカップを持って、リビングにあるテーブルへと少し足早に向かった。全く、もう。
彼を追うためにも、先ほど切った林檎をワンプレートで並ぶサラダの隣にある余白スペースへと並べてから、フォークとナイフと一緒にリビングへと運べば先に着席した彼の席の前へと並べ、もう一つは彼の向かいに置いてから私も同じように向かいに腰を下ろす。
「いっただっきまーす。」
「いただきます。」
テーブルの隣にある窓から覗く空はやっぱり灰色で、どんよりとしていたけれど、気分だけでも上げるために声を弾ませてみる。それから今日買ってきたパンを手に取れば、まだじんわりと暖かく、一口サイズに千切ってから口の中に放り込むと、口の中にバターの香りが広がって思わず頬が緩んだ。まぁ目の前の彼はむっしむっしと千切ることなくそのまま頬張っていたが、それでもいつものパンとは違って暖かく焼き立てだということが分かったのか「ん、これは焼き立てか」とぱちぱちと瞬きを繰り返すので、「へへ、カクが起きる前に買ってきたんだ。」と少しばかりどや顔で言葉を返す。
「それはそれは、朝からわざわざすまんのう。しかし雨の中無理せんでもよかったんじゃぞ」
「ううん、ついさっき降り出しただけで、私が外に出た時は雨降って無かったのよ。」
「ほう、そうなのか。…ふむ、今日は折角の休みじゃからどこかに出かけようと思っておったんじゃが…。」
「この豪雨じゃねぇ。」
「そうじゃのう。」
「まぁ、いいんじゃない。家の中でのんびりっていうのも。」
ざあざあと絶え間なく降り続ける雨の音をBGMに、テーブルの端にあるシュガーポットを引き寄せて、ちびトングで角砂糖を掬って珈琲の中に落とすと、向かいに座るカクが少しばかり真面目な顔で「〇〇は、たまにはどこかに出かけたいと思わんのか。」と問いかけてきたので、私は三つ目の角砂糖を落としてから、ううんと首を捻る。
「うん?うーん……そりゃあお出かけするのも楽しいし、お出かけしたいなーって日もあるけど、……私は結局カクがいればなんでもいいのよね。休みの日はカクとデートするっていうよりも、カクと一緒に居れる日っていう認識だし。」
毎日会えていた日とは環境が変わって、普段会えないからこそなのか、私の考えもまた変わったように思う。勿論、口で伝えたように彼とのお出かけは楽しいが、お出かけを引いたからといってそれがマイナスに転じることはない。それはきっとお出かけというのが少しのスパイスで、実点数を持っているのが彼だからだろう。だから別に、雨の日だからといってがっかりすることはない。彼が隣にいてくれるのであれば。
私はそれを伝えたつもりだったのだが、あまりに言葉がストレートすぎたのだろうか。向かいに座った彼はおもむろにマグカップを取って珈琲を啜りながら目を伏せるので、「あれ、照れちゃいました?」と茶化すとカクは眉間に皺を寄せて、「ち、違うわい!」と少しばかり声を荒げる。それがなんだかおかしくって「あはは、どうだか!」と笑ってしまった。
しかし、お子ちゃまな彼は茶化されることが嫌いなようで、私の返した言葉を聞いた瞬間、マグカップを持ったまま右手にフォークを持つと、私の皿の上に鎮座するベーコンをぐさりと指して奪っていくではないか。
「あっ、ちょ!私のベーコン!」
私の悲鳴が部屋に響く。
「ふん、わしをからかうほうが悪いんじゃ。」
「そもそもカクの方は一枚多く入れてあげてるんですけど?!!」
しかもカクの方は枚数を多くしたからと、こっそりと厚めに切ったベーコンの方を取っていくのだから本当に容赦ないし、大人気ない。なんて奴だと私のベーコンをこれ見よがしに食べる彼を睨んだ私は、仕返しとばかりに、彼の皿に乗った残り一枚のベーコンを同じようにフォークで奪おうとしたのだが、私のフォークはベーコンを捕えることはなかったし、ガキン、と金属音を響かせて彼のフォークが弾いた。
「手癖の悪い奴じゃのう。」
「お、大人気なぁ……本当に25歳か……というか発言がブーメランすぎるんだけど…?!」
「……ん、25?ああ、そうじゃ、25で思い出した。この間お前が見たいと言うておった、小説あるじゃろう。あれ、見かけたから買っといたぞ。」
諦めずに何度か残りのベーコンを狙ったけれど全てを弾かれた上に、残り一枚のベーコンまで食べられてフォーク・バトル強制終了と相成った。
カクを睨む私とは裏腹に、ベーコンを食べ終えたカクは涼しい顔で25という数字繋がりで思い出したように呟く。私はなんだっけなと少しばかり思案顔を見せたのち、「あ、25万マイルで電伝虫が愛を囁く?」と心当たりのあるタイトルを投げかけると、カクはこくりと頷いて「あぁ。違ったか。」と問いかける。
「言ってたー!わー…ありがとう!ずっと読みたかったやつだ……え、じゃあ今日はそれ読んでもいい?」
25万マイルで電伝虫が愛を囁くは物凄く泣けるとかなんとかで売り切れ続出している、いま話題の本だ。近所にある本屋でも売り切れてしまったと店主が言っていたのに、また入荷したのだろうか。なんにせよ、ずっと買えなかったものだったので彼に感謝を伝えながらも、念のためにカクに問いかけてみる。
「あぁ、どうせ外に出れんのならたまには読書も良いかもしれんな。わしも積読本があるし、それでも読むかのう。」
「あはは、じゃあ今日は読書の日だね」
「そーじゃのー。」
他愛のない話。平穏な日々。
そういえば、何もしなくてもつまらないと思わなくなったのはいつからだろう。子供の頃はつまらないとカクと結託してジャブラなんかに悪戯をしに行っていたのに、そんなことをしなくても、会話がなくともつまらないなんて思わなくなってしまった。
25万マイルで電伝虫が愛を囁くを読み終えた頃、隣に座る彼が私の名前を呼んで、そのまま体を組み敷いた。
「そろそろいいかのう。」
「今日は読書の日じゃないの?」
「飽きてしもうたわい。」
「んふふ、じゃあ次は何をする?」
「愚問じゃろ。」
唐突な行動ではあったけれど、以前の支配や独占欲を埋めるためではない穏やかな眼差しが心地よく、私も彼の名前を呼び返すと首の後ろに腕を絡めてから「確かにね」そう零しながら、少しばかりの愛を囁いた。
そうして気付けばとっぷりと日も暮れた頃合い。一体いつの間に眠っていたのか、腰に残る重みと気だるさを抱えて窓の方を見れば雨の音は無くなっていたが、窓の奥は真っ暗になっていて少し、いや随分と眠っていたようだと吐息が落ちた。それから何の気なしに寝返りを打ってみると隣には彼がいたようで、私の寝返りは途中で止まって、彼の胸の中にすっぽりと埋もれてしまった。
「うん?なんじゃ起きたのか。」
「おはよ」
「……はは、よく眠っておったのう。もう0時前じゃぞ。」
「うへぇ…やっぱり寝すぎたなぁ」
「気持ちよさそうにグースカ寝とったのにな」
「む……そういうカクの方はなんでそんなに元気なのよぉ。」
「そりゃあ元気になるようなことをすれば、元気になるじゃろうて。」
くつくつと喉で笑う彼は少しばかり意地悪だ。横に寝転んでいる彼は腰に腕を回して撫でるので、「私めっちゃ腰痛いんだけど」とじとり睨むと、彼は誤魔化すように「わはは」と笑った。それでもお互いに布を纏わずに触れた肌は暖かくて、彼の意地悪な言葉も妙に心地よくて、あふ、と湧き上がる欠伸を落としてしぱしぱと瞬きを繰り返す。
「……あふ、………なんかまだ眠いかも」
「うん?まぁ、今日はこのまま寝てもいいかもしれんのう」
「……んん、でも折角カクと一緒なのに」
「明日も休みじゃろう。」
「そうだけど、さぁ………ぎりぎりまで堪能したいでしょ」
「堪能した後じゃろ」
「まだ足りないもの」
「はは、可愛らしいことを言ってくれる。」
今眠ってしまったら今日という日が終わってしまうではないか。それが惜しくてたまらずにまだ足りないのだと子供のようにごねた私は、もう一度だけ体に溜まっていく眠気を吐き出すように欠伸をふわぁと吐き出すと、目の前の彼に眠気が移ってしまったのか、彼も大きく口を開いて大きな欠伸をしていた。
眠る間際、私の頬を撫でたカクがぽつりと「怖いのう。」と零した。
それがあんまりにも珍しい言葉だったから「どうしたの」と問いかけると、彼は私の腰を抱いて肩に顔を埋めてから「幸せすぎて怖いんじゃ。」と呟いた。私の肩に顔を埋めたのは、顔を見られないようにする為なのかもしれない。甘えたにも、弱音にも取れるその行動に、彼の背中へと腕を回して広い背中を優しく摩って「ふふ、いつもは強いカクが怖いって思うほど幸せなら、こんなに素敵なことはないねぇ」と零すと、肩の方から「………ふ、…そうじゃのう」というくぐもった言葉が聞こえた。
「……出来るだけさ、長生きしようよ」
「……出来るじゃろうか」
「うーん、どうだろう。…でもさ、長生きしたらきっと楽しいよ。いろんなところにいってさ、そこでご当地料理食べたり、ゆっくり旅行したりさ。あ、手合わせも人生に一度は勝ちたいなぁ…。」
「ム、それだけは負けたくないのう。」
「んふふ。……こうやってさ、楽しいこと考えたらワクワクしない?」
「………そうじゃのう。」
彼は穏やかに、幸せをかみしめるように笑みながら言葉を紡ぐ。
励ますように、甘やかすように、彼の頭に手を載せると、カクは心地よさそうに目を細めながら頭を摺り寄せる。それがなんだか猫のようで可愛らしくて、小麦色の短く切りそろえた髪を撫でながら「今日はいい一日だったね、カク。」とそう穏やかに言葉を紡いだ私は、お返しにと贈られるおやすみのキスを受けて、明日は何をしようなんて考えながらゆっくりと心地よい眠りへと落ちていくのだ。